2人が本棚に入れています
本棚に追加
シトラス、ゆびきり、きみの
――とんとん。
「いつまでそうしてるの」
ノックされたきみは、瞼をひらいておおきな瞳をしばたかせる。そのさきにはなにひとつない、まっさらな闇。歩道橋のてっぺんを照らす蛍光灯はほとんど切れていて、わたしはきみの従順な横顔をいつもよりまっすぐ見つめられる。
「だって、新月だから」
きみはためらいがちに言った。
「いつもそうやって言うけど、願い事って弱い人間がすることだよ」
わたしはそう言っておおきく伸びをして、肩や背中をぱきぱき鳴らした。月が高い。
たっぷり日に焼けた互いの肌はほとんど闇に溶けていて、距離がよくつかめない。頭上でほどいた手をぶらんと無責任に下げると、きみの手に触れた。熱がまわる。
きみは欄干に寄りかかって、深くうつむいた。夜風が横切る。顎下で揃えられたきみの髪がさらり揺れて、シトラスのデオドラントが四方に散った。
「……そっちはないの? 願いたくなるような、そういうこと」
すこし不機嫌そうに訊いたきみに、わたしは
「願ったって、どうしようもないよ」
低い声でつぶやいた。
最初のコメントを投稿しよう!