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2024.07.06 拙作についてのあれこれ
三文戯作書きで底辺投稿者の『泗水眞刀』です。
ここでは愚にもつかない駄文や、執筆中の物語の補足等をダラダラと書いて行きます。
興味のない方は無視して下さい。
そういうわけで、わたしも従姉のお姉さんの影響で石森章太郎と手塚治虫のファンになりました。
さらに付け加えれば、お姉さんは自分でも漫画らしきものを描いていて、なかなか巧かったのです。
それを真似てわたしもお姉さんの横で、拙い絵を描いたりしていました。
(009の模写をしていた記憶が・・・)
この幼少期での経験が、わたしの嗜好を完全に決定付けたのだと思います。
小学生低学年において、将来は漫画家になりたいと思うようになりました。
このお姉さんの話をさらにしますと、やがて少年漫画から卒業し普通に少女漫画を見るようになっていました。
よく覚えていませんが『少女コミック』だったと記憶しています。
その中でも後に「23年組」と呼ばれる『竹宮恵子』『萩尾望都』を好きで読んでいました。
『風と木の歌』『トーマの心臓』『ポーの一族』といったタイトルだったと思います。
だから正確に言うと普通の少女漫画好きではなく、これまたBLの世界です。
まだ幼かったわたしには、そんなことは分かっていませんでしたが、なんか変な嗜好だというのは感じていました。
一方のわたしは健全に、少年漫画に嵌まって行きます。
最初にファンになったのは「手塚治虫」でした。
そこは時代ですから、手塚治虫や石森章太郎は当時定番だったんですよ。
アニメで「宇宙戦艦ヤマト」がOAされたのもこの年で、それから数年待たねば「松本零士ブーム」や男が少女漫画を読むというブームは来ないのです。
まだまだ、古き良き時代の最後の残り香が漂っていた頃です。
(単行本で読んでいた手塚タイトルは、W3、バンパイア、魔人ガロン、ノーマン、鬼丸大将、その他)
現在では考えられないでしょうが、漫画の神様とまで言われた手塚治虫氏の代表作と言われた作品に限っては、当時まったく市販されておらず幻のタイトルとなっていたのです。
手塚ファンになっていたわたしを、さらに刺激したのは「少年マガジン」の巻頭特集で『手塚治虫30年史』というものが掲載されてからです。
デビュー当時の単行本(赤本と呼ばれていたらしいです。主に大阪の出版社が多かったみたいですね。手塚氏は宝塚出身ですから)から年代毎に、様々な作品が紹介されていました。
(作品の年表が付いていて、ほぼ全作品が記載されていました)
長らく幻と言われた伝説の『新宝島』を筆頭に、『ロストワールド』『メトロポリス』『来たるべき世界』という初期SF三部作。
さらに『ロック冒険記』『ジャングル大帝』『リボンの騎士』『鉄腕アトム』『火の鳥』
目眩くようなタイトルが並び、わたしは何百回と見かえしたものです。
(いまでは古い漫画が高額取引されるのは珍しくはありませんが、その切っ掛けとなったのが手塚治虫氏の実質的デビュー作『新宝島』でした。当時の価格で50万円です、現在の価値に換算すれば幾らなのでしょうかね。少年ジャンプが100円するかしないかという時代です。うろ覚えですが、一時期300万円の値が付いていたような)
見ることが出来ないが故に、見たいという欲求はなん倍、なん百倍と膨れ上がり、想像の世界で光り輝く宝物のようになって行くのです。
ここにあげた代表的な作品は、その当時手に入れることが出来なかったのですよ、信じられますか?。
普通に目に出来るようになったのは、講談社が『手塚治漫画全集』の刊行を始めて以降です。
いつの間にか様々な作品が復刻され、金を出せば手に入るいい時代になったものです。
昔はお金を出しても、買えなかったのですから。
それと同時期にわたしが嵌まったのが、石森章太郎の『マンガ家入門』『続マンガ家入門』です。そうしてなんといっても、藤子不二雄(まだふたりに分かれるずっと前です)の『まんが道』ですね。
秋田書店から刊行された「新入門百科シリーズ」の中の『漫画家修行 まんが道』という、ハードカバーの一冊でした。
(元は少年チャンピオンに毎回2ページづつ連載されたものを、単行本にしたものです。現在の「あすなろ編」に当たる部分です)
まんが少年だったわたしは、背表紙がすり切れるほど、なんども、なんども読みました。
この作品は後に「少年キング」で続編が掲載され、多くのまんが少年たちを虜にしました。
(NHKでドラマにもなりましたね、見てないけど)
高校生になったわたしは、刊行されたばかりの藤子不二雄A氏が書いた『ふたりで少年漫画ばかり描いてきた』と言う私小説風な読み物が好きで、これまたハードカバーがすり切れるほど読みました。
(なにかで刊行予告が出ていて、発売予定日に近隣三駅分くらいの書店を自転車ではしごしたのですが、どこにも売っていない。それでも諦めきれずに池袋まで電車で行き当時西口にあった「青林堂」でやっと手に入れました)
それこそ貪るように、繰り返しなんども読んだ記憶があります。
そんなこんなで順調に漫画家になりたいという病気は続き、いつしかわたしは大人になっていました。
そうしたある日、わたしは基本的かつ決定的な重大事に気付いてしまいました。
なんと、わたしは漫画が「下手」だったのです。
好きなのと、巧いのは違うのです。
しかも努力をまったくしない。
漫画家になどなれるはずがありません。
大人のわたしは、いつしか漫画家になる夢を諦めてしまいました。
それでもアーティスティックなジャンルが好きで、絵が駄目ならば小説や音楽ならば良いのではないかと方向転換しました。
シンガーソングライターを目指し作詞作曲(当時はまだ高価だった、電子キーボードも購入しましたし、父が持っていたクラシックギターを弾いてみたり、楽譜の教則本を買って譜面を書いたりもしました)してみたり、小説を貪り読み作家を目指したりもしました。
しかし如何せん厭きっぽく持続力がないので、長続きしません。
おまけに努力が嫌いなので、結局はなにひとつ実にならず終いでした。
そうして地道に社会人を装い、日々を生きてきたのです。
そんな中にあっても、物語を書きたいという欲求は定期的にわたしを刺激し続けていました。
幾たびも書こう、書こうとするのですがすぐに挫折して、きちんとした文章を書いたことはありません。
唯一、二十代半ば頃に原稿用紙に手書きで二百枚ほど、小説もどきを書いたのがせいぜいでした。
(いまでも捨てるに忍びなく手元にありますが、読み返したくもありません。文章も下手、というより小説として成り立っていない下手くそさです。わたし自身いまでも巧い文章を書けるわけではないのですが、物語を書くと言うことはまずは文章が基本だと思うのです。いくら筋立てが良くアイデアが素晴らしくても、文章が下手な作品は読みません。こればかりは才能だと思うのです。しかしわたしのように才能はなくても、長く生きれば最低限の文章は書けるようになるのだと最近気付きました。若い方に言いたいのは、最近流行りの小説も良いですが、古い作品も読んで下さい。文章力をつけるには、大御所と言われた方々の小説を読むのが一番の早道です。まずは基本的なきっちりとした文章が書けて、そこから自分なりの新しさを加えるのが個性となるのです。こんなことを書くと、今時の方からは〝老害〟と罵られるかもしれませんね)
この経験が、後にも先にもたった一回だけの創作と言えるものです。
気持ちはあれど実作業が追いつかず(単なる怠け者)、いつしか小説を書くことさえ諦めかけました。
ところがひょんなことが切っ掛けで『アンドローム ストーリーズ(聖大陸興亡志)』を書くこととなったのです。
やっと本題に戻りましたが、続きは次回へ持ち越しです。
申し訳ございません。
P.S.
ふと疑問なんですが、こんな自己満足の塊のような駄文面白いですか?
懐古趣味で自分勝手で、若い方にはなんの話しか判らない内容ばかりで、読む価値ありますか。
よろしかったら、感想お聞かせ下さい。
不思議とわたしは、そう言った感想だの反応だのをほとんど貰えないんです。
決して気難しい性格ではないはずなんですが、なぜなんでしょうか?
会社勤めの頃も怒ったりしない穏やかな性格なのですが、なぜか気軽に人が近寄ってこないんです。
別に恐いところなんて、まったくないんですよ。
なにかそういうものを、自然と醸し出しているらしいのです。
一度年の離れている後輩に印象を聞いたら〝先輩は一匹狼みたいな雰囲気です〟と言われました。
確かに和気あいあいと、群れるのは苦手です。
(唯一思い当たるのは、自分が人に懐かない性格という所でしょうか。でも嫌なヤツじゃないよ)
ですから気軽に感想聞かせて欲しいです。
落ち込むことはあっても、怒ることはありませんからお気軽に。
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