3人が本棚に入れています
本棚に追加
『ごめんなさい。今日は気圧のせいか頭が痛くて……』
電話の向こうの彼女は、申し訳なさそうにそう言った。僕はいつものように、「大丈夫? 薬でも飲んで休んでてね」と電話を切る。
「ふう……」
零れる溜息のまま窓に目を向ければ、ガラスを打つ雨。
雨の日は気圧のせいか、彼女は家に籠る。片頭痛らしく、その声は本当に申し訳なさそうで。
気圧の変化に敏感なのか、雨が降りそうになるとデートはそこでお終い。雨から逃げるように帰っていく。天気予報で降水確率が40%ならば、絶対に家から外には出ない。
徹底した雨対策。と言えばいいんだろうけど、たまには二人して通り雨に濡れながら駆けて、軒下に避難した後顔を見合わせて笑い合いたい。たまには手を繋いで空にかかる虹を見上げたい。
梅雨になると殆ど会えなくなるのも寂しい。だから梅雨の晴れ間に会える時は嬉しさが増して、ついつい時間を忘れてデートし話しこんでしまう。
だから起こってしまった。
「……え? 雨?」
二人とも大好きなアニメの劇場版。それを見終わり映画館ロビーにて話しこんでしまった彼女の携帯が通知を届けてきた。「ちょっとごめんね」とスリープを解除した彼女の目が見開き、ぽつ、とそう口にする。彼女がいれている天気アプリ、それが雨が降り始めたのを告げてきたのだ。
「今日降るって言ってなかったのに」
「そうだね。降水確率も0%だったし。通り雨じゃない?」
「そうだといいんだけど……」
不安そうな表情の彼女とともに映画館が入っている複合施設の入口へと降りる。自動ドアの向こうはどんよりとした灰色の世界が広がっており、銀の糸の様な雨が音を立てて降っていた。いきなりの雨だからか、道行く人は駆け、あるいは施設の中へと避難してきている。
「やだ……どうしよう」
瞳を揺らすかの彼女。ここから最寄りの駅までは歩いて10分弱。走ればあまり濡れずに行けるかもしれない。僕のジャケットを彼女に被せて走れば……。
憧れてたシチュエーションに胸が高鳴る。
だけど彼女は「止むまで待ってみる」と、他の店舗を巡り始めた。しかし30経っても1時間経っても止む気配は無く。
「タクシーに乗って帰ろうかな」
遂に彼女はそんな事を言いだした。いや、最悪ビニール傘を買えばいいんじゃない?
「濡れたくないの」
僕の頭の中を覗いたのか、口に出す前に理由を答えられてしまう。しかし急な雨にタクシーも出払っているらしく、併設されているタクシー乗り場には1台も見当たらない。
「家族に迎えに来てもらうとか」
「ううん。雨の日は誰も外に出ないの。会社に行ってても、予想外の雨が降ったら止むまで会社から出ない」
……どれだけ雨が苦手なんだろう。そんな彼女に付き合って更に2時間待ってみるも雨は止まず。寧ろその雨脚を強めてきてた。
「これは止まないよ。ジャケット貸すから一緒に走ろう」
ぎゅっと手を握るも、弱々しく振り払われる。
「だめ。私は雨に濡れられない」
「どうして? 濡れて化粧が落ちても嫌わないよ」
「違うの……」
俯き逸らされる視線。彼女はきゅっ、と唇を噛んでいる。言おうかどうしようか迷っているみたいに。
僕は意を決して彼女の手首を掴んだ。驚きに顔を上げる彼女にジャケットを被せる。
「行こう」
そうして手を引き、雨の中に駆けだし……途端、彼女が、がくん、と頽れた。もしかして滑った!?
慌てて振り返る先、彼女は路面に座り込んでいて。
「だ、大丈夫!?」
彼女によく似合っている、ペールブルーのワンピース。それが濡れそぼって脚に纏わりついている。裾にいくにつれ透け感のあるワンピース、肌色が透けて……いなかった。代わりにサファイアの様な輝きを放つ鱗が見える。
鱗……?
彼女はさっと手で隠すが、鱗は隠しようがないほど広がっていた。
「それ……」
「私、水に濡れると鱗が出るの」
「え?」
「私の一族は先祖に人魚がいるらしくて、濡れるとこうして鱗が現れちゃうの」
突然の告白。僕は理解が追い付かず、でもこれ以上雨に濡れ続けると体が冷えるからと抱き起す。ふらつく彼女の脚。
「それに、少しだけ歩きにくくなるの……。陸に上がった人魚みたいに」
「それは素敵だ」
腕の中に閉じ込めながら口にする。
「僕は君を海の泡になんかさせないから。君の鱗を持つ脚、こんなに美しいものを見た事がない」
抱き締めれば、腕の中の彼女は僕の胸に体を預けてきた。
「雨の日も、貴方がいれば少しは好きになれそうよ」
暫し見詰め合い、唇を重ねる。するとお伽噺のように雨が止み、虹がかかり始めた。
僕たちは手を繋ぎ微笑み合って歩いていくだろう。これからもきっと。
最初のコメントを投稿しよう!