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Prologue BARブレストの夜
「こんばんは。今、暇?」
うっすらと微笑む綺麗な男が俺の隣に腰掛けて、そう話しかけた。この人はこんな風に笑う人だったのだろうか。わからない。もはや。
「忙しいなら別にいいんだ」
「いえ、大丈夫です」
俺の逡巡を見て取りあっさりと踵を返そうとしたその男は、俺の声に振り返りわずかに首を傾げた。こんなふうな仕草をする人ではあった。
灰青みがかったプラチナ色のフェザーマッシュのウィッグ。彫刻のように整った顔貌の上に薄いピンク色の口紅が乗っている。肌は青白いといえるほどだ。体にピタリと沿った黒のシャツに同じく細身でほとんど黒のデニム。それから申し訳程度の飾り気に、右手首に細いシルバーのリング。改めて見れば人間離れした美しさと透明感。
「そう? よかった。俺こっちに移るけどいいよね?」
「どうぞ」
投げかけられた言葉に、ダークブラウンの艷やかなバーカウンターの奥に佇む初老のバーテンダーは短く答える。その背後にはたくさんの瓶が静かに並び、淡い照明を照り返している。まるでシャンデリアだ。
やがてバーテンダーは新しく灰皿を運んでくる。綺麗な男、つまり高輪叶人は不自由そうに左手で胸ポケットをまさぐって煙草のケースを取り出し、一本を口に加えてライターで火をつける。その姿がいやに様になる。本人はきっと、そんな認識はないんだろうけれど。
「煙草、よかったかな。いいよね」
そう言って俺の前の灰皿を指差す。
「いいですよ」
「ねぇ。あんた、初めて会う人だよね」
煙とともに吐き出される低い声も美しい。
「そんなに派手な姿なら忘れられなさそうだ」
高輪叶人は不思議そうに俺を見つめ、作られたプラチナの髪をかきあげた。
「そっか」
そうして話題は途切れた。少しの沈黙の間に高輪叶人の口からは細い煙と独特な香りが溢れ、目がわずかに細められる。
「俺に見覚えが?」
「え? ……ああ。俺は記憶力があんまりよくなくてさ」
少し困った様子に顰められた眉の下にある正面から見てやや灰青がかったその瞳は、いつかの空を思い起こさせた。
「人を探してるんだ。あんたがその人に似てる気がした。でも違ったみたい」
「そうですか」
「うん、なんとなくさ。会えばわかるかなってちょっと思ってたから」
そしてやはり、少しの沈黙。高輪叶人は指に挟んだ煙草で俺の前の灰皿を示す。
「吸わないの? 最近紙タバコ吸ってる人ってほとんどいなくてさ」
「どこも電子ばかりですね」
「そうそう。肩身狭いよね」
ただの間をもたせるだけのつまらない会話。
「どんな人なんですか?」
「え?」
「俺に似てる人って」
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