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目の前のハイボールの氷がカラリと音を立てた。
外と比べて暖かな店内はグラスの表面に水滴を付着させるのに十分で、そして手に取る気にはならなかった。酒精は随分薄いはずなのに飲めば必ず酔っ払う。そんな予感がする。そして高輪叶人の前で酔っ払えば、何を言ってしまうかわからない。気づけばかわりに浅いため息を吐いていた。
「なんか悪いことでもあったの?」
「いえ、そんなこともないですよ」
「そっか。……どんな人かはよく知らないんだ。実はね。本当は会えればいいなって思ってるだけ」
そう呟いて高輪叶人は目を伏せた。
よく知らない人。
それは多分高い確率で、毎日会っている俺のことだ。そうして気を取り直すように顔を上げて俺を見つめて小さく笑った。
「ところでさ、このあと遊ばない?」
あの空を思わせる灰色の瞳がどろりと濁り、唇の表面で合成された色彩が光を反射する。太ももに軽く置かれた細長い指先が触れる場所が熱い。その意図は明確で、動悸が見透かされないよう息を止める。けれどもすぐに眉は下げられ、音もなく長く息が吐かれた。
「ごめん。なんでもない」
高輪叶人はそう告げて興味を失ったように俺から目を離す。極限まで薄く作られたラムを一息で飲み干し、半分以上残った煙草を揉み消して席を立つ。
「じゃあ、ありがと」
それだけ言って高輪叶人は会計を済ませ、振り返ることもなくドアを開けた。次にため息を吐いたのはカウンターの内側にいた原田だった。
「高輪先生は最近こうなんですか?」
「はい。多分この後も他の店に行くでしょう」
原田は高輪叶人が向かった扉の先を、しばらくじっと眺めていた。
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