箱入りの姫様は、ちいさき者をお愛でになります

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1.  大丈夫。怖くなんかないわ。  さぁ、しっかり顔を上げるのよ、ビオレッタ。  一歩を踏み出すために、少女は心の中で己を叱咤した。  だが、目の前に映し出された巨大な影は、閉ざされた垂れ絹を介しても、少女の体を震わすほどの圧を放っている。  カァァァァ──  鈍く光る銀のとまり木の上で、漆黒の羽を広げた烏が追い打ちを掛けるように高らかに鳴く。  それでも少女は、口元をぎゅっと引き締めたまま、影から視線を外すことはしなかった。  少女の名はビオレッタ。  東の(エストマーレ)に浮かぶ大陸・ユーランジナの中央に位置するオルキディア王国の第三王女。  彼女が訪れたのは、母国に隣接する魔法国家ミラグレサの王家ベージャス城の王宮の間。 「……何故、ここに来た」  視界を埋め尽くすような大きな影が揺れ、ビオレッタに向けて言葉を発した。地の底から響いてくるような、低く、太い声で。 「納得のゆく説明を、貴方様から直接お聞きしたく参上しました」  その細い体のどこに、そんな勇気が秘められているのか。ひるむことのない、ビオレッタの反論がまっすぐに向けられる。 「どうして一方的に、私との婚約解消をお決めになったのですか? シャルム様!」  ※ ※ ※  三年前、花咲きそろう春の季節。オルキディア王国は吉報に沸いていた。  十六歳の誕生日を迎えた第三王女・ビオレッタの婚約が決まったとの知らせが、王宮から公示されたのだ。 「ついにビオレッタ様も花嫁か」 「若姫のハートを射抜いたのは、いったいどんな高貴な殿方かしら」  政治・経済・歴史学、あらゆる学問に秀でた、頭脳明晰な第一王女・リーリオ。身体能力が高く、武術に優れた勇猛果敢な第二王女・ジーニア。二人とも自ら望んで国外留学で見聞を広めてきた、才色兼備を絵に描いたような高嶺の花的存在であったが、三女・ビオレッタは幼少期病弱だったこともあり、国王の側で大切に育てられた箱入り娘と認識されていた。国民たちは、優秀な姉二人の姫には尊敬と羨望のまなざしを向け、ビオレッタに対しては、彼女の健やかな成長を願い温かく見守ってきた。  それだけに、ビオレッタ婚約のニュースに、オルキディアの民は歓喜したのだ。  がしかし、婚約者の名前が明かされると、一部の民衆からは不安の声が上がった。  その名はシャルム・ベーシャス。魔法国・ミナグレリの第一王子である。  ユーランジナ大陸の西端に位置するミナグレリは、その領地のほとんどが険しい山々と深い森に覆われ、数多の魔族が生息する秘境の地であった。それら魔族を統一し、同盟国として君臨したのがベーシャス一族であった。ベーシャス王は、以前は一切接触を図っていなかったユーランジナの他国とも交易を始めた。優秀なウィザードの手による魔法薬を他国に惜しみなく提供し、見返りとして豊富な農水産物を入手し、飢えに苦しんでいたミナグレリの魔族を救うという偉業を果たした。その後、小さな反乱が好戦的な魔族によって幾度か起きたりもしたが、ベージャス王の絶大な魔力によって鎮圧されことなきを得てきた。  そのベージャス王の一粒種・シャルム王子こそが、ビオレッタの婚姻の相手であった。  オルキディアとミナグレリの両国間では、長きにわたり友好関係が築かれており、十年前にオルキディア国内で発生した疫病の大流行の際には、ベージャス王から寄与された魔法薬の力で多くの人間が死を免れることが出来た。ゆえにミナグレリ国に深い感謝を抱き、ビオレッタとシャルム王子の婚約を喜ばしく思う民も多かったのだが、不安に感じる人々も少なくなかった。  ベージャス一族によって鎮圧されたと言えど、王座を狙う危険分子は国内に点在すると噂されている上に、人語を解さない凶暴な魔獣の棲み処も至る所にあるミナグレリで、温室育ちのビオレッタが故郷を離れて生きていくことが果たして可能なのかと。  不安が不幸を呼び寄せたのか。  挙式直前になって、ビオレッタの父であるエールデ国王が老衰のため、末娘の花嫁姿を見ぬまま生涯を終えた。  国中で喪に服したため、式は一年延期となった。王亡きあとのオルキディアは、隣国のフィリウッサ教国の皇族から婿を迎えていた長女・リーリオによって統べられ、大きな混乱は起きなかった。  そして一年後、延期されていたビオレッタとシャルム王子の婚姻の儀が今度こそ執り行われるとなった際──、  今度はミナグレリで不幸が起きた。  反乱分子による革命が起き、ベージャス王が命を落とした。シャルム王子と、その優秀な国王魔法軍の手によって革命は制圧されたが、王子自身も呪いを受け、瀕死の重傷をであるとの伝令が、ビオレッタの元に入った。国内の治安情勢を鑑み、見舞いに駆けつけることも不要とされ、ビオレッタはただ待つことしかできなかった。  そして更に一年の年月が過ぎ──、  父の跡を継ぎミナグレリ王となったシャルム・ベージャスより、待ちに待った書簡が届いた。だがその内容は、ビオレッタの心を打ち砕く内容であった。 『ビオレッタ嬢との婚約を、一切白紙とする』  ※ ※ ※  月光が静かに窓から降り注いでいた。  暗い茂みの中から聞こえてくる虫や鳥の鳴き声は、オルキディアでは耳したことのないような不思議な音を奏でいる。だが、王宮内は水を打ったように静かだ。ビオレッタに同行した警護の騎士団一行は、離れの厩舎に止宿している。ベージャスの王宮に着いてから、シャルム王の従者の姿を誰一人として見ていない。案内をしてくれたのはすべて、王宮の間にいたカラスであった。家臣たちはいったいどうしたのだろうか。 「日が暮れてからの移動は危険だ。今宵は泊まっていくがいい。ただし、明朝すぐに帰国されよ」  帳越しの謁見の終わりにシャルムから告げられた言葉を、あてがわれた客室でビオレッタは思い返していた。  シャルム本人から、婚約を白紙に戻した理由を聞きたい。  その一心でここまで来た。  婚約が解消された直後から、ビオレッタの将来を案じた重臣らは「すぐに新たな縁組を」と、お相手探しを始めたが、彼女はきっぱりとそれを拒否した。 「私の心は変わりません。ミナグレリを訪問し、直接シャルム様にお話を伺って参ります」  姫がここまで強い意志を示したのはかつてない出来事だったが、重臣たちは「そんな危険なことはなりませぬ」と必死の説得にあたった。しかし、 「お行きなさい、ビオレッタ」  危険な道行きの後押しをしたのは、姉であるリーリオ女王であった。 「貴女とシャルム殿の繋がりが、こんな簡単に切れてしまうとは思えないわ。きっと深い理由があるはずよ。行って確かめておいでなさい」  そう。二人の婚姻は、決して政略的な事情だけによるものではなかった。  オルキディアでの疫病大流行の折、ビオレッタは傷心の日々を送っていた。美しい故郷に蔓延した病は多くの死者を出し、その中に王妃であるビオレッタの母もいたのだ。最愛の母を亡くし悲しみに暮れるビオレッタの元を訪れたのが、当時のシャルム王子であった。 「すまない。我々の魔法薬の供給が遅すぎた。そのせいで、そなたの母君が」  膝をつき、頭を垂れ、詫びの言葉を述べた彼は、 「これ以上被害が広がることのないよう、早急な精製をこの地で行わせていただく」  オルキディアに滞在し治療用魔法薬がすべての感染者の手に渡るようにと、大量の薬草を持ち込み精製を始めた。  病魔に未感染の動ける若者を集めリーダーシップを取りながら、他国の民の為に汗水を流しつつ熱く煮え立つ大なべをかき混ぜ、完成した魔法薬を国中に届けるため走り回るシャルム王子の姿に、ビオレッタは心を奪われた。 「恋しているわね、ビオレッタ」  常に視線はシャルムを探すようになっていたビオレッタに、リーリオが耳打ちした。 「恋? お姉さま、これが恋というものなの? 私にはわからない。だってこんな気持ち、はじめてだから」  戸惑うビオレッタに、リーリオは優しく微笑み頷いた。 「覚えておいて。尊敬からはじまる恋もあるのよ」  ビオレッタの初恋であった。  少しでもそばにいたいと、ビオレッタは魔法薬精製の現場へ通い、皆と一緒に作業をした。母の死の悲しみに耐え、小さな体で懸命に働くビオレッタと過ごすうちに、シャルムも彼女に心を動かされていった。  疫病が無事終息し、シャルムが母国に帰国したのちも、二人は密かに文を交わし続けた。  そしてビオレッタが十六歳になった日、シャルムからの正式な結婚の申し込みを受け、もちろん快諾し婚約の運びとなったのだ。  なのにそれは一方的に解消された。 (ひと目、お顔を見ることも叶わなかった)  ほんのわずかな時間、それも帳を挟んでしか会えなかった事実が、ビオレッタの顔を曇らせた。そして、帳に映し出された巨大な影──。 (噂は本当だったのね……)  反乱軍の強力な魔導士にかけられた呪いによって、シャルム王は世にも醜い魔物に姿を変えられてしまったとの噂が、オルキディアに流れてきていた。 (彼はもう、人の姿をしていないのかもしれない)  それでも、どんな困難が待ち受けていようと、シャルム王が元の姿に戻れるよう手を貸したい。万が一、二度と戻れないので会ったら、彼の側で力になって支えたい。彼に嫁ぐということは、命を共にするのと同じことなのだから。 「このままでは、帰れないわ」  決意を固くしたビオレッタが、そう呟いたその直後──、 「へぇー、泣きべそかいてるとばっかり思ったけれど、なかなかに強気な姫様だな」  甲高い声が背後から届いた。 「な、何者ですか⁉」  振り向いたビオレッタが目にしたのは、暖炉から羽を広げた現れた一羽ののカラスであった。 「あなたは……」  濡れたような艶やかな黒い体と赤く光る瞳。謁見の間にいたカラスに違いない。 「改めて挨拶させてもらうぜ。俺様は歴代のジャービス一族当主に仕える使い(サーヴァント)・レアリだ。おっと使い魔と言っても俺とシャルムは対等、いや実質的には俺様の方が師匠的な立場だな。なんせ生きてきた年数が違う。それと悪ィんだが俺様は姫様相手だろうが、丁寧な物言いとかはできねぇから勘弁な」  カチカチと嘴を鳴らしながら早口でまくし立てるレアリに、呆気にとられるビオレッタだったが、 「シャルムから、あんたを説得してちゃんと明日国に帰せって言われてきたんだけれど……」 「帰りません! 納得のゆくお答えがもらえるまで、絶対に!」  不本意なセリフを吐かれ、激しい口調で反論した。 「勇ましぃねぇ。よし、あんたの本気はよくわかった。おい姫様、あんた俺の手伝いをしてくれないか。といっても俺様に手はないから、羽伝いか。なんてな、カーカッカッカッカ」 「やります。私にできることのなら何でも。いえ、できないことだって、必ず成し遂げてみせます」  シャルムのために自分が力になれるのなら、どんなことだって。  ビオレッタの目に宿った揺るぎない意思の光に、レオリも羽を正した。 「明朝、帰国の挨拶と偽ってもう一度謁見の場を設ける。そこで姫様、あんたはあのシャルムの姿を隠す、邪魔くさい布を取っ払え。今のシャルムを、まずはしっかり目に焼き付けろ。話はそれからだ」 ※ ※ ※ 「おはようございます。シャルム様」  朝の光が差し込むジャービス城の謁見の間は、希望の輝きに満ちているかのようにビオレッタは体感していた。 「出立の挨拶など不要であったのに。すぐにでも城を発つがいい。道中気を付けるように」  昨晩同様、帳を挟んでの会話はすぐに打ち切られ、シャルムの大きな影はすぐに退席の為に動き出す。ビオレッタと、控えていたレアリの目が合い、互いに頷き合う。 「いいえ、シャルム様。このままでは帰れません。『挨拶は、相手の目を見て』と、母から教えられてまいりました。ですから」  ドレスの裾を翻し、王座への階段をビオレッタが駆けあがる。そして、 「お顔をお見せください! シャルム様!」  目の前の垂れ衣を、引き開けようと手を掛けた。 「な、何をしているんだレアリ! 早く姫を止めろ!」  動揺するシャルムの声がする。だがそれは先ほどまでの低く響く声音ではなく、何故か彼方から聞こえてくるように遠い。疑問に思いながらも、ビオレッタが帳の先に踏み込むと、そこには──、 「シ、シャルム様?」  想像だにしなかった、婚約者の姿があった。 「ビオレッタ……」  雲を衝くような巨大な魔獣などは存在していなかった。  そこには、細く、消え入るような声で彼女の名を口にしたシャルムが、  ──親指大に小さく縮んだ姿で、ビオレッタを見上げていた。    
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