俺がおまえを買ってやる

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俺がおまえを買ってやる

 さっきまでやんでいた雨がまた降りだした。 自分の体が熱くて、雨粒は私に当たるそばから蒸発していきそうなほどだった。スラム街のすえたような匂いが湿気に混じって漂ってくる。私は最後の力を振り絞って裏通りに駆け込み、壁に寄りかかって肩で息をしていた。自分の呼吸が他の誰かのものみたいに、耳のすぐそばで聞こえる。心臓が壊れそうなぐらい打ち続けてるのは、ずっと走っていたせいだけではない。 追手と、偶然に鉢合わせる相手とどちらがマシなのだろう。発情(ヒート)を起こした自分にとっては、いずれにしても無事には済まない気がする。さっき手元が狂って、抑制剤は全てこぼしてしまった。誰かに頼ろうにも迷い込んだ知らない街で、どうしたらいいのか見当もつかない。話しかける相手を選ぶ余裕は今の私にはなかった。 雨に打たれて休んでいると、荒い息づかいが収まってきた。もう少し走れそうだ。その時、声が聞こえた。 「匂うぞ。分かれて探せ。まだそんなに遠くには行ってないはずだ」 「わかった」  男たちの足音が近づいてくる。逃れるように路地の奥へ進み、角を曲がると行き止まりだった。反対側に目を向けると、こちらの方がまだ道が続いているようだ。隠れても匂いですぐバレる。思いきって暗がりに飛び込んだ。 「おい」 「!」  いくらも行かないうちに腕を掴まれ、声を出す暇もなく口元を押さえられた。どうやら相手は男のようだ。力では敵わない。 「声を出すな。こっちだ」  観念して力を抜いた私を羽交い締めにするように抱え込んで、男は私を促してさっきの通りまで歩きだした。 あいつらの仲間か… 結局は逃げられない。暴れただけ損だ。車に乗せられる時に抵抗したら殴られて、唇の端が切れた。おまけに逃げる時にも派手に転んで、膝を擦りむいている。靴音が響いて、私を車で運んで来た女衒(ぜげん)の男たちが立ちはだかった。 「こんなところにいやがった。よう、誰だか知らねえが助かったよ。そいつはさっき仕入れたばっかりの生娘(きむすめ)でさ。今夜、初見世の予定だったんだ」  女衒は私の後ろにいる男に気安く話しかけた。知り合いではないのか。だとしたらこの男の目的は何だ? 「こいつはΩ(オメガ)だろう。しかもヒートの真っ最中だ。それでも店に出そうってのか」 「知らねえのか。Ωとヤるのはサイコーだって話だ。ずぶずぶのとろとろで他の女は抱けなくなる」 「ずいぶんと下卑た趣味だな。人間をモノ扱いするのも気に入らねえ」  低く笑う彼に、女衒たちは鼻白んだ様子になった。 「お前がどう思うか知ったこっちゃない。そいつは俺たちが金を出して手に入れた商品なんだ。まずはその元手を回収させなくちゃならねえ。こっちに引き渡してもらおうか」 「俺がその倍の金を積むと言ったら? この女を譲ってくれるか」  二人の男は顔を見合わせた。 「幾ら出そうって言うんだ。そんな簡単に…」 「そうだな。見たところせいぜい指一本ってとこか。それなら二本でどうだ」 「ふん、悪くねえな。ただ、今夜限りじゃなくこれからも店に出て働いてもらうつもりだったんだ。それを考えると、なあ?」  意味ありげににやにやする二人に、男はボストンバッグを放り投げた。少し開いた口から札束が顔を覗かせている。 こんな大金… いったいどうしようって言うの 「500ある。それでどうだ。こんな華奢な体じゃ長くは()たないだろう」 「話が早いな。いいだろう、好きにしろ」  笑いの止まらない男たちは、バッグの中身を確かめると、車を走らせて去って行った。
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