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あなたが欲しい
食事をして家に戻ってから、早速二人でキッチンで作業を始めた。ケイは慣れた手つきで、カードを使ってバターを細かく切りながら、小麦粉に混ぜていく。
「私に出来ることはある?」
「ベリーを洗って。砂糖とワインと鍋に入れたら火にかけて」
焦がさないように火加減に気をつけてゆっくり煮ていると、キッチンが甘酸っぱい香りでいっぱいになった。
「いい匂い」
「おまえの香りに似てるな」
「えっ、そうなの?」
そう言われればこんなフルーティーな香りを嗅いだような気もするが、まだヒートは数回しか経験がないし、自分ではフェロモンの匂いはあまり感じない。と言うよりも、体は怠いし意識も朦朧とするし、それどころではないのだ。
「少し煮詰まったか」
私の肩越しにケイが鍋を覗き込んだ。不意に耳元で聞こえる声と、彼の匂いに鼓動が跳ねた。一日と言わず一時間、一分一秒が過ぎるごとに、私はどんどん彼に惹かれていく。
近すぎる彼との距離にどぎまぎしていると、ケイがくすっと笑って私の腰に腕を回してきた。頬が熱くなって落ち着かない。
「手が止まってる。焦げるぞ」
意地悪く囁いて私の手を掴むと、木ベラを取り上げて火を消した。
「生地は少し寝かせるから休憩だな」
私を椅子に座らせると、ケイはコーヒーを淹れ始めた。今度はこうばしい香りだ。
「幸せな匂いがする」
想いがつい口をついて出た。波風の立たない穏やかな日々。これと言って取り柄のない私が、隣にいるだけで大切にしてもらえるなんて。一日たりとも気の休まらない暮らしをしてきた私にとって、ここでの生活は何物にも替えがたかった。
「女ってのは金がかかるのかと思っていたが、おまえは何でも喜んでくれるから、安上がりでいい」
私に背中を向けて流しでマグカップを揃えながら、ケイは楽しそうに笑う。
「おまえの母親は憐れだな。おまえの価値がわからないんだから。あんなはした金で手放すなんて。もっとも、俺にとって花梨は金には変えられない価値があるが…」
気づいたら、後ろからケイに抱きついていた。
「…おっと。火傷するぞ」
相変わらずケイは動じない。私の想いだけが募っていくようで焦れったい。彼の背中越しに聞こえる低い声にドキドキして、頬を埋めながら腕に力を込めた。
「ケイ。大好き」
「俺もだ」
ケイは私の手に自分のを重ねて優しく撫でた。ややあって、彼が振り向いた。見上げると彼の虹彩が紅く見えた。さっき私に買ってくれた指輪の色に似ていると思った。
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