俺がおまえを買ってやる

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雨はまだ降り続けている。静かになった空間に見知らぬ男と二人で取り残され、聞こえるのは雨の音だけだった。 「と言うわけだ。怖がらなくていい。俺が助けてやる」 助けたそのあとは? どうせ男が考えることなんて同じだ 男は私を解放して自分に向き合わせた。背の高い男だ。涼しげな目元は整っている方に入るだろう。ひょっとしたらα(アルファ)かもしれない。微かな希望はすぐに打ち消した。こんな様子のいい男でも、やることはあいつらと変わらないんだ。 「怪我をしてるのか」  不意に私の頬に手を触れて彼が近づいた。包み込む掌を振り払う暇もなく、私は彼に唇を奪われていた。 何を… 初めての感触にしばし立ち尽くしていたが、猛烈に怒りがこみ上げた。いくらお金で買ったからって、何でも好きにされてはたまらない。私はぐっと腹に力を込めると彼の唇に噛みついた。 「つ…っ」  驚いた彼が唇を離して一歩後ずさった。私が手の甲で口を拭って睨みつけると、彼はふっと笑って自分の唇を舐めた。すっかり雨に濡れた黒髪をかきあげるのと相まって、その仕草は何とも言えない男の色気を感じさせた。 「参った。油断したな。まさか俺が噛まれるとは思わなかった」  楽しげに肩を揺らす彼にますます腹が立った。 「でも、悪くない。気に入ったぞ」  彼は私を捉えるとそのまま腕に抱きしめた。押し返そうとしても私の力ではびくともしない。拳で胸を叩いても痛くも痒くもなさそうだ。 「離して」 「静かに。何もしやしない」  耳元で声が囁いた。同時に彼の匂いがふわっと鼻先を掠めた。優しいひだまりのような匂いだ。まだ自分が幸福だと信じていた頃に嗅いだことのある、懐かしい香りだった。息をするたびにその匂いが体に取り込まれ、気持ちが凪いでいく。気がつけば私は声を上げることも腕から逃れることも忘れて、ただ彼の腕の中にいた。 「いい子だ。今日からおまえは俺のものだ。誰にも渡さないからな」  安心したのもつかの間、彼が口にしたその言葉に私は弾かれたように身を(よじ)らせたが、既にがっちりと押さえ込まれている。やっぱりΩの運命なんてこんなものだ。誰かの欲望の対象にされて、襤褸(ぼろ)のように捨てられるだけ。わかっていたのに、一瞬でも安堵したせいか涙が滲んだ。 「おまえの香り、いいな。追ってきて正解だった」  彼が私の首筋に鼻先を埋めてくる。逃げだしたいのに体が動かない。ただでさえ予定外のヒートで熱を持った体は、感情の起伏で容易にバーストする。収まってきたフェロモンがまたあふれてしまう。 「俺の家に連れていく。少し眠っていろ」 車にでも連れ込むつもりか 身構えたが、不意に彼が私の顔に手をかざした。 「どこへ…」  問いかけた自分の声が途切れ、力強い腕に支えられたのを感じた。あとは暗闇に飲まれたことしか覚えていない。
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