ここにいろよ

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ここにいろよ

一週間が経って、ヒートが終わった。 体調も元通りになった。今日はケイと初めて会った日と同じように雨が降っていた。窓から見える空は一面灰色で、雨足が地面に吸い込まれていくようだ。 「飽きないのか」 「うん」  自分が濡れる心配がないなら、雨の風景を眺めるのは好きだ。朝からずっと窓辺の床に座っていると、ケイがコーヒーを淹れてくれた。ここに来て生まれて初めてご馳走になり、そのかぐわしい香りに私はすっかり魅了されてしまった。 「ありがとう」  偽りのない微笑みを浮かべている自分が、信じられなかった。それほど急激に、私はケイに心を許し始めていた。アイボリーに近い色のカフェオレは、私が好む甘さに調(ととの)えられている。 ケイは約束通り、本当に私に何もしなかった。心細くて頼めば隣で眠ってはくれたけど、年頃の男女が一緒に暮らしているとは思えないほどに、二人の間には何も起こらなかった。そこにはただ、慈愛に満ちた彼の眼差しがあるだけで、私はその優しさに癒やされていた。 でも、やはりこのまま彼に甘えているのは気が引けた。私は何も出来ないし、何も持っていない。体が回復した今は、ここを離れなければならないと考えていた。その日々を失うのは寂しかったが、私は思いきってケイに告げた。 「ケイ。私に良くしてくれてありがとう。おかげで元気になったけど、ずっとここにいるわけにはいかないと思うの。お金は働いて何とか返すから、そろそろ…」 「どこへ行くんだ。行く宛もないのに」  穏やかに遮られて、私は言葉を返せなかった。彼の言う通りだ。これ以上彼に迷惑をかけたくはないが、行くところなんて元々私にはない。仕事を探すにも、まともな学歴もないΩじゃ職にありつけるかどうか。また母親と暮らしていたような毎日に、戻ってしまうかもしれなかった。 「ここにいろよ。俺が守ってやるから」 「どうして、そんな…」 「言ったろ。おまえが欲しいと」  私はごくりと唾を飲んだ。 「それは、私を抱きたいってこと?」 「そうだ」  あっさり肯定されて拍子抜けしたが、嫌悪感はなかった。 「おまえが俺を受け入れてくれるなら、俺はいつでもそうしたいと思っている」 「ヒート中は手を出さなかったのに」 「あんなに怯えて弱ってるおまえをものにしても、おまえが傷つくだけだ。まあ、キツいヒートの症状は和らぐかもしれないが、俺は心ゆくまでおまえを味わいたいと思っているからな」  夢みたいだった。体が目的だとしても、彼の場合はそれが全てではない気がした。自分が誰かに必要とされる日が来るなんて、考えたこともなかった。
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