第一章 ○○○○○殺人事件

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第一章 ○○○○○殺人事件

 死神のマリアは、今日が初仕事である。  回収する魂は赤葉(あかば)茉莉(まつり)という二十一歳の女性のものだが、これは上司のパロが選んだものだった。  自称イケオジ、他称三枚目のパロは、「やっぱり同い年の同性のほうが気が楽だろ?」などとよくわからないことを言ってウィンクしてきた。  それを真正面から食らってしまったマリアは、キモすぎるとか、サイコパスかよとか思ったのだけれど、気持ち悪いですよ、と口にするミスは犯さなかった。本人の目の前で頬を引きつらせて、「うわぁ」と洩らしただけである。がんばった(?)。    そして天界の会社から人間界の担当魂の下へときらきら魔方陣でかっこよく転移したマリアは、開口一番、 「うわぁ」  と先ほどとまったく同じ反応をした。  長い黒髪を後頭部でお団子にした茉莉が、うつ伏せに倒れていたのだ。無造作に投げ出された両手の親指には、骨折しているのかギプスらしきものがあり、背中には細長い、おそらくは柳刃包丁が突き立てられていて、衣服──薄手のTシャツは真っ赤な血で染まっている。生ぐさい鉄のにおいが鼻を突く。 「うう……」マリアは口元を押さえた。  実年齢の割に幼い面差しのマリアは、見た目に違わずグロいのが大の苦手なのだ。  込み上げる吐き気を懸命に押し戻す。死ぬならきれいなまま死んでよ……、と恨みの視線を送る。しかし、死人に口なし、返事はない。  はぁ、と溜め息をついた。  死体の状態から他殺なのは明らかだった。    マリアは首を巡らして状況の把握に努める。電灯が点いているので視界は明るく、よく見える。  かなり広い部屋だった。死神学校の教室ぐらいはあるのではないか。壁にはアナログ式の時計があり、八時五十八分を示してしている。窓はなく、全体の印象は〈銀色〉である。おそらくは飲食店かホテル、あるいは豪邸などの厨房なのだろう、いくつかの流し台や業務用らしき大きな冷蔵庫などがあり、壁には配膳用エレベーターのダムウェーターまである。生者の気配はなく、死臭だけが充満している。  うぇぇ、くちゃい。  換気しなくちゃ。そう思ってマリアは、入り口らしき両開きの扉を開けようとしてみる。が、ガタガタするだけで開きはしない。施錠されているようだった。    げっ。マリアは思いきり顔をしかめた。密室だぁ密室殺人だぁ。  アホの子の自覚のあるマリアにも、これが推理案件だとわかる。最悪だった。めんどくさいことこの上ない。  カルマ判定の魔眼があるから〈犯人〉はすぐにわかるだろうけれど、〈動機〉と〈方法〉はそうはいかない。人間さんたちが自力でパパっと解決してくれたら楽なのだが、そうでないならマリアが何とかしなければならない。  初仕事から大変そうだった。  もうやだおうち帰りたい。そうは思うも、仕事は仕事だ。働かないと推し活にいそしめない。  はぁ。マリアは一つ溜め息をつくと、入り口の鍵を開けようとし、しかしすんでのところではっとして手を止めた。  これ、開けたら駄目なやつじゃん。  現場をいじくり回してしまったら人間さんの捜査の足を引っぱりかねない。  マリアは魔法を発動して扉の向こう──幅広の廊下へと転移した。きらきら魔方陣のせいで隠密行動とは真逆の派手な移動になってしまったが、周りに人影はないし、誰にも見つかっていないはずだ。     ホテルだろうか、洋館だろうか、高級感溢れる絨毯が敷かれている廊下を進む。暖房が入っていないのか、空気がひんやりしていて肌寒い。  死神は透明人間のように不可視の状態になることができ、現在のマリアも不可視化している。  堂々と廊下の真ん中を闊歩していると、一人の青年を見つけた。トイレから出てきたところらしかった。二十代半ばほどだろうか、すらりとしたシルエットの美青年だった。  すっと細く通った鼻梁と優しげなのにどこか冷たい瞳が怜悧(れいり)な印象を与え、眉に掛かる黒髪はさらさらとしている。  はわぁ……。  見惚れてマリアは、思わず陶酔の吐息を洩らした──その瞬間、青年が鋭い眼差しを寄越した。  ひっ、とマリアは両手で口を押さえて息を呑んだ。  人間さんに存在を認識されるのはあまり褒められたものではないとされている。つまり、社内での評価が下がりかねない。ので、黙して石のように固まる。  青年にはマリアは見えない。腑に落ちていない様子ながらも、気のせいか、というふうに唇を動かすと彼は、背を向けて静かに歩き出した。  危なかった、とマリアは内心で安堵の息をついた。  そして早速、カルマ判定の魔眼を発動させ──黒目が赤く輝くが、もちろん不可視化はこれにも適用されるため人間さんにはバレない──青年の背を見た。視界の中心に〈善行ポイント〉と〈悪行ポイント〉が表示される。  ……特に変わったところのない数字だった。強いて言えばどちらの数値も高めだが、まぁ通常の範囲内だ。彼は犯人ではないと見ていいだろう。  マリアの気配を感じ取ったのか、青年は足を止めて振り返った。油断のない瞳が廊下を見通す。 「……」マリアは再び石になる。〈だるまさんが転んだ〉やってるみたい、と失笑しそうになるも、こらえる。 「……」青年も無言だった。しかしやはりそこには誰もいない、そう見えているはずだ。  青年の視線がマリアの足元に落ちた。と、その瞳が鋭さを増した──漠然とだが嫌な予感がして、元気なことだけが取り柄のマリアの心臓がどきりと跳ねた。  立ち尽くすマリアのほうへ青年はすたすたと近寄ってくる。  やばっ、よけないとぶつかる! でも、動いたらバレそう……。  かといって、転移魔法は馬鹿みたいにきらきらだからオカルトが関わっていると察せられるかもしれない。  どどどどうしようっ。  そんなふうに焦るも決断できずにその場にとどまり冷や汗を流すマリアの目前で、青年は、まるでこちらの姿が見えているかのように足を止めた。  身長が平均よりも低いマリアが、青年の美貌を上目遣いに見上げると、見下ろす彼と目が合った。  え、嘘、本当に見えてるの?   そんな馬鹿な、と目を見張るマリアを見つめたまま青年は口を開いた。 「誰もいないはずの廊下で絨毯の足跡が増えている──これは明らかにおかしい。透明人間がいるとでも考えない限り説明できない」青年の声は高くも低くもなく、穏やかに透き通っていた。  もはやこちらの存在を確信しているようだった。  いい声だなぁ、と現実逃避するマリアの内心を知ってか知らでか彼は続ける。「どうやって透明になっているかはわからないけど、歩幅からいって身長百五十センチほど、内股ぎみなことからおそらくは女性──違うかい?」  完全に言い当てられてマリアは内心で、ひぇぇ、この人間さん鋭いよぅ、とビビり散らかしていた。この分ではマリアが何も言わなくても死神であると看破されてしまうかもしれない──と、そこでマリアの脳裏を電流が駆けた。妙案をひらめいたのだ。  どうせバレるのなら、このイケメンに協力してもらえばいいのでは?  開き直りそのもののアイディアだが、悪くないように思えた。というより、一人では絶対に真相にたどり着けないのだから、元より他力にすがるしかないのだ。  ヤるっきゃねぇ。  マリアは意を決して透明化を解いた。  へぇ、とおもしろそうに瞠目する青年に向かって、マリアは言う。「え、えと、はじめまして、人間さん。日本担当の死神、マリアです」
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