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次の日の夕方頃、大きな幌馬車と箱馬車があばら家の前に到着した。寝室の窓から馬車が見えたキャサリンが夫のベンジャミンを呼びにお腹を庇いながら大急ぎでキッチンへと向かった。
「ベン、誰か来たわ。出られる?」
ベンジャミンは大鍋で湯を沸かしているところだった。
「ああ、行くよ。ソフィア様は?」
「まだ熱がかなり高いわ」
二人は言葉にならない空気を共有し、先にベンジャミンが庭へと出ていった。ベンジャミンは馬車から降りてきた男女二人が言い争っているのを見て、つい耳をそばだてる。
「ひどいじゃない、どうしてソフィアをこんな家に追い出したりしたのよ!」
「いや、これは何かの手違いだって言っているじゃないか。マスタスの家に住むように手配したはずなのに……」
男は遠目にもかなりの美青年であることがわかる。この人がソフィアを苦しめているヴィンセントだと判断した。それに第二の都市マスタスの邸宅の話をしているなら一言言わなければならないことがあった。
「マスタスのお屋敷には行きましたよ。ただ、そちらでマスタスの家ではなくルードリアの方に行けと言われたんです」
ベンジャミンは心の中で、しかも素っ気なくと付け加えた。
整った顔立ちの男女がほぼ同時にベンジャミンへと顔を向けた。先にヴィンセントと思しき男がベンジャミンに「君は?」と聞いてきたが。
「ソフィア様のお供として妻のキャサリンと共にシューマン家よりついてまいりました」
ヴィンセントは理解を示して頷いた。そこへ幌馬車から一人の男が荷物を抱えて歩いてきた。
「言い争うのは終わったかい? 寒いしとにかく中に入ろうじゃないか。ソフィアの容態も気になるし」
木箱を抱えて寒そうに肩を竦めている男はベンジャミンの元にやって来て「まだ幌馬車に食べ物を積んできているから、悪いが手を貸してくれ」と、声を掛けた。
「ああ……そうね。自己紹介なしで戸惑うわよね。私はここにいる愚かなヴィンセントの姉シャーロットよ。その人は夫のダニエル」
ひとまずベンジャミンは被っていた帽子を軽く持ち上げ挨拶をした。
「ダン。ソフィアの様子を見てから手伝うわね」
また馬車の方から男が木箱を抱えて歩いてくる。これは説明を受けなくとも服装で御者だとわかった。ベンジャミンは自分も箱を運ぶために小走りで幌馬車へと向かっていった。
「それにしても」とシャーロットが怒りながら家を目指す。
「こんなのってないわ。鹿狩りの時に使うレストハウスだった所じゃない」
ヴィンセントだってまさかここにソフィアが暮らしているなんて思いもしなかった。この建物は放置されてから長い時を経ているはずだし、それじゃなくとも手狭だ。
「マスタスの家に住むという話だったのだが……」
少なくとも執事のトンプソンからはそう説明を受けていた。
『あまり顔を合わせたくないということですのでマスタスの邸宅を整えてございます。あそこなら文句も出ませんでしょうし』
トンプソンの言葉を今でもハッキリと思い出せるのには理由がある。厄介払いができたと思ったし、マスタスの家は本家である首都の家と引けを取らないから強欲なシューマン家の令嬢とて文句はつけてこないだろうと考えたからだった。
「それで一度も、たった一度も、一度たりとも、妻の様子を見にはこなかったのね。大した旦那様だこと」
一度を強調する姉のシャーロットはとにかくおかんむりだ。馬車の中では喉が渇くまでお小言を言い続けた。休憩した宿屋で喉の渇きを癒すとまたヴィンセントを非難し続けた。ヴィンセントは反論せずにいたが、言いたいことは山程あった。姉はあのしおらしい態度に騙されているが、ソフィアはあのシューマン家の人間だ。口を開けば金の事ばかりなのに、なぜそこまで擁護するのかと苛立ちながら話を聞いていた。
二人で家の中へと入ると、ずっと喋り通しだったシャーロットが思わず口を閉じた。
「え……外と温度が変わらないじゃない」
屋内に入ったはずだったのに、部屋の中は温かさを感じられなかった。いや、一応暖炉には火が入っているが、薪の量が少ないのかお情け程度の火が灯っているといったほうが正しい。
一歩遅れて入って来たダニエルが重い荷物を部屋の隅に置くと一息ついて話し出す。
「これは寒いな。なあ、君。えっとベンジャミンだったね」
追いついて部屋に入ろうとしていた従者のベンジャミンが、もう部屋が人数超過で入れずドアの外で立っていた。
「はい」
箱を抱えたまま返事をしたベンジャミンにとにかく箱を置くようにとジェスチャーでダニエルが伝える。
「薪はどこにある? もう少しくべないと寒いだろ?」
ベンジャミンは帽子をとって頭を掻いた。
「薪の余裕がないので、ずっとその大きさを保っているんですよ」
ヴィンセントは横に居たシャーロットがキッと睨みつけたのを感じた。なぜシャーロットが睨むのかヴィンセントには解せなかった。金は十分送っていると執事から聞いているのだから。
(部屋が寒いのも、金がないのも、全部俺のせいってことか。幾ら払えば満足するのやら)
まさか、このような寒い思いまでして実家に金を横流ししているなら献身的過ぎて恐れ入るとヴィンセントは呆れかえっていた。
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