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「うーん、とにかく」
不穏な空気を破り、ダニエルが部屋を見渡して提案する。
「ここに泊るのは難しそうだ。まだ夕方だし、我々は戻ろう。途中で宿をとって帰るとしよう」
佇んでいるだけでも窮屈な場所に、泊まることなど不可能だという判断だ。ベッドもソファーもない上に寒すぎて眠ることはできそうもない。
「そうね……。えっとベンジャミン、持ってきたものは全てソフィアにあげようと思ったものなの。もし良かったら、薪の代わりにこの木箱の中身を出して箱を燃やしてしまってもいいわ。どうかしら?」
シャーロットの提案にベンジャミンは「助かります」と、答えた。それを聞いてダニエルが「じゃあ、君たちがソフィアに会ったら帰ろうか」と、部屋に一つだけある扉の方へと姉弟を促した。
「待って、ダン。私はソフィアをうちに連れて帰るわ」
「ああ、シャーロット。そうだね。もちろん、そうしよう」
夫婦揃って答えがそろうのはいい事だが、ヴィンセントはここで自分が名乗り上げないのはまずいという気持ちになっていた。夫であるはずの自分がソフィアを連れ帰らず、姉夫婦が連れて行くなど見ている者たちへの印象も悪すぎる。
「待ってくれ。私の家に連れ帰る」
シャーロットは手を腰に当ててまた弟のヴィンセントを睨んだ。
「ちゃんとお世話できない人間に託すことはできないわ」
「できるさ」
「そうは思えないわ。実際、階段から落ちた次の日に家から追い出したじゃない」
痛いところを突かれて苦虫を嚙み潰したような顔をしたが、ヴィンセントは反論した。
「それは本人が帰りたいと言ったからそれを止めなかっただけだ」
そもそも帰宅の意思はヴィンセント本人には伝えられなかった。侍女経由で馬を用意して欲しい旨だけ伝えられたにすぎない。
「それで体調を崩したわけね。ええ、あなたって優しくて涙が出ちゃう」
シャーロットの辛辣な冗談に怯んでいるところを、シャーロットの夫ダニエルがシャーロットを止めに入ってくれた。
「まぁまぁ。あまり責めても終わったことは仕方ない。言い合いばかりしてないで、早めに移動するとしよう。レディの寝室に入るのは悪いから、君とヴィンセントだけで行くといい。さ、じゃあ荷物を下ろし終えたら出発だ」
ダニエルという男は人当たりが良いだけの男ではないことをヴィンセントも早いうちから見抜いていた。裕福な庶民ではあるが、貴族ではない。それでもシャーロットとの結婚を許されたのは、こういった場合に発揮される場を収める力を認められてのことだった。
「じゃあ、ソフィアに会おう」
夫ではあるが名ばかりのものなのに、ダニエルが遠慮した女性の寝室に入ることに抵抗を感じながらも、ヴィンセントは冷静を装ってドアを開けた。
「失礼する」
一歩中へと踏み込むと一段と部屋は寒くなる。ショールを肩から掛けた侍女は身重らしく、ゆっくりと振り返った。
「ヴィンセント様ですね」
侍女はヴィンセントに挑むように言った。姉のシャーロット同様ここにも好戦的な人間が待ち構えていた。
「まぁ、ソフィア!」
侍女の対峙しようとしていたヴィンセントを押しのけ、シャーロットがソフィアの寝ているベッドへ駆け寄った。
「顔が赤いわ。それに息も荒い」
思ったよりソフィアの症状が良くないことにシャーロットが動揺し自身の冷えた手をソフィアの火照った頬に添えていた。
ヴィンセントはふと窓辺に飾られたドライフラワーに目がいった。見覚えがある気がしたのだ。それに殺風景過ぎる部屋の唯一の飾りがドライフラワーなのも途轍もない物悲しさを感じさせた。
「ちょっとヴィック! ボヤボヤしてないで早くソフィアを連れ出すわよ。街に行ってお医者様に見せなければ」
力強く叩かれて我に返ると、確かに熱に苦しむソフィアの容体の悪さに何もためらいを覚えずに抱え上げていた。
「あ、私も参ります!」
侍女キャサリンはどう見ても身重なのに、ソフィアについてこようとした。
「それはダメよ。こんな寒空にあなたを連れてなんかいけないわ」
シャーロットが断るが侍女のキャサリンは諦めなかった。
「信用できません! 階段から落ちたというのに次の日には家を追い出すようなご主人様なんて……いないほうがマシだわ」
吐き捨てるように言うキャサリンに、ヴィンセントは言葉がない。確かにもっと体調を気にするべきではあった。抱え上げたソフィアの体はまるで燃えているようだった。
「興奮しないで。私はヴィンセントの姉のシャーロットよ。私がちゃんと監視するから安心して。あなたはお腹の赤ちゃんを大事にしなくちゃ……」
シャーロットはヴィンセンへ馬車に行っているように目配せすると、身重のキャサリンを宥めにかかる。
「心配ならあなたの体調がいい時に来たらいいわ。この部屋は寒いし、せめて隣の部屋に居て頂戴。きっとベンジャミンが火を強めてくれるわ」
部屋を出ていこうとするヴィンセントにシャーロットの静止を振り切り、キャサリンが追いすがってきた。
「ヴィンセント様、ソフィア様を苦しめないでください。本当に心根の優しい子なのですから──」
涙を溜めて訴える侍女に、ヴィンセントはとにかく頷いてみせた。苦しめたことなどないはずだが、どうしてそのような認識なのか、疑問を持ちながらも「約束する」と言い、部屋を後にしたのだった。
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