あばら家

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 ソフィアを連れた一行は中規模の街で一泊し、翌朝早めに宿を後にし首都シュリアに舞い戻ってきた。 「良いこと、ヴィック。ソフィアは病人なのだから、とにかく優しくしてあげて。本人が帰りたがってもあっちに帰したらダメよ。あなたがあのあばら家をソフィアに充てがったことへの言い訳は後でじっくり聞くから、今はとにかく優しくね」  ダニエルの両親が家に来る予定だからと、シャーロットはしっかり釘を刺すと翌日戻ってくると宣伝して帰っていった。  ソフィアをベッドに寝かせた後もヴィンセントはソフィアのベッドサイドに置いたイスに腰を下ろしていた。 「キャッシー……」  ベッドに下ろしたことでソフィアが意識を取り戻し、掠れ声で侍女を呼ぶ。 「ああ、あの侍女は身重ゆえ連れてきていない」  ヴィンセントの声にゆっくりと顔を向けて「ヴィンセント……さま、なぜ……?」と口を動かすのも億劫そうに疑問を投げかけた。 「シャーロット夫妻と共に君の様子を見に行って、連れ帰ってきた」  話そうとして声が出なかったソフィアに「何か飲み物を持ってこさせる」とヴィンセントが言うと、ソフィアは驚いたような顔をしてから初めてヴィンセントに心からの笑みを見せた。 「喉が渇いてお……りました。ありがとうご……ざいます」  ソフィアは辛そうだが、ヴィンセントはその笑みに言葉が出てこないほど魅了されていた。こんなことでここまで嬉しそうな顔をするのかと、心底驚いていた。いやそれよりも、熱で潤んだ瞳、溶け出したような眼差し、火照った頬も不謹慎ながら心を鷲掴みされるほど心惹かれるものだった。 「待ってろ」  直ぐに部屋のドアを開けて、近くに居た侍女に飲み物を運んでくるように伝えた。 「あ、待て」  踵を返して取りに行こうとした侍女を呼び止めた。 「君は熱が出た時に何か食べたいものはあるか? ソフィアがなかなか食べ物をとらないのだが……」  侍女は顎に指をあてて考え込むと「フルーツが食べたくなりますが……時期的に用意できるものがないと思います。コンポートならなんとか」と答えた。 「じゃあ、それを。他の食べ物も少しずつでいいから色々持ってきて欲しい」 「はい。ヴィンセント様の分もお持ちいたします」 「私は後から食べるからいい」  これで話は終わったと思っていたが、侍女はこれに反論する。 「付き添われるのですよね? それなら一緒にお食べになるべきです。一人でお食べになるより、誰かと一緒の方がソフィア様も食べる気になると思います」  この侍女は自分の意見を述べる人間だったらしい。ヴィンセントと会話を交わすのは大抵ベテランの者ばかりなのでこの侍女のことは外見くらいしか知らなかった。 「では、そうしよう」  侍女の意見を汲んで答えると、侍女は直ぐに持ってくると請け負って一礼すると廊下を歩いていった。  ヴィンセントが部屋に戻ると、ソフィアは再び現実と夢の狭間を行き来していた。 「あ……戻られたのですね」  声は弱々しくも態度は歓迎しているソフィアに何か話してみたいと思うのだが、吸い込まれるように眠りに落ちていく。顔にかかった栗毛色の髪を慎重に退かしてやると、ソフィアは言葉にならない声を発し、また夢の世界に戻る。 (クリスティンのような自信に満ち溢れた女性が好きだったはずなのに……)  ソフィアを知れば知るほど、興味が引かれる。偽りのものかもしれないが、謙虚さや健気さに魅了されていた。それはヴィンセントだけに限らず、きっと姉夫婦や使用人たちにも及んでいるようだ。誰もがソフィアに手を貸そうとしたり、加勢したがっているようなのだ。 (そうやって皆をたぶらかし、金をせしめてきたのか。そうだとしたら稀代の悪女だ)  事実として、ソフィアと結婚するにあたり多額の金が動き、それをソフィアは承知していた。結婚するときの契約書に金額まで記されているのを見て、ソフィアもヴィンセントもサインを入れたのだ。 (ソフィア、君はどんなふうに思っているのか。私を金蔓と思っているのだろうか。本心を聞いてみたい)  自分の思いにわずかにひるんで、薄く笑った。本心を聞いたところで何が変わるのだろうかと笑ってしまった。結婚することが出来ない恋人がいる。その事実は変わらず、ソフィアにも想い人がいるようだった。 (ソフィアへの印象が変わり、少しでも好意を抱いたところで何一つ関係は変えられないのにな)  ソフィアが瞼を揺らし目覚め、ヴィンセントを認めるとまた嬉しそうに口角を上げた。自然とヴィンセントの手が頬に伸びていた。 「早く治せ」 「……はい」  返事をしたソフィアの笑みをそのままどこかにしまい込んでおきたいと思うヴィンセントだった。
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