質屋

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 結婚したときには瑞々しいスズランの花束だったものをソフィアはじっと見つめていた。今はドライフラワーになり、殺風景な部屋に飾られている。一つしかない飾りがかえって部屋を寂しく見せていた。  吐く息が白い。季節は巡り、もうすぐ新しい年を迎えようとしていた。  ソフィアはとうとう立ち上がって肩に掛けていたショールを掴み、物入れ用の箱のもとまで行って箱を開けた。中には着古したドレスと結婚したときに受け取った木箱が入っている。木箱を取り上げると、そっと中身を確認した。真紅のルビーは貰った日と寸分違わぬ美しさだ。 「縁がないとはこういうことなのね」  ソフィアは一度も首につけることがなかったネックレスを手放す決心をしていた。  今月に入り、家の修理費や、家具代、おまけに食料品などのツケを払ってほしいとひっきりなしに商人たちがやってくる。散々支払いを待ってもらっていたソフィアだったが、とうとうバトラー家からは生活費の援助を頼めないのだと諦めたところだった。今のところ、結婚式にバトラー家の使用人に会ったのが最後で、それ以降誰一人としてやってこない。こちらから使いを出して無心するのは心苦しいと思っていた。何といっても父カールが莫大な婚姻費用を請求したのを知っているので、困窮していても願い出ることができなかった。  箱を手に佇んでいたらドアをノックされた。 「どうぞ」  返事をしたら直ぐにキャサリンが顔を出す。 「居間に来てはいかが? その部屋よりはまだ暖かいわよ」  正確にはエントランスだがキャサリンの提案で居間と呼ぶようになった部屋への誘いだった。夜にならないと暖炉に火はいれないのだが、それでもキッチンの温もりでソフィアの部屋よりも暖かいのだ。 「ええ。ねえ、父から返事は来た?」  キャサリンは肩を竦めただけだったが、それが答えだ。何度か窮状を訴えてみたものの、父は言い訳の返事すら寄越さないのだ。 「そう……。あの、ベンは今どこにいるかしら?」  キャサリンの夫ベンジャミンの居場所を聞くと「薪を作っているから表にいるわ」と、返事がきたのでとうとうソフィアは決意を口にする。 「ベンと街へ行こうと思うの。結婚したときにいただいたネックレスを質屋に持って行くつもりよ。そのお金で支払いをしてついでに冬の買い物を──」  キャサリンは最後まで聞かずにそれは大きなため息を吐いた。ガクッと項垂れたが、直ぐに面を上げる。 「そろそろ言い出す頃だとは思っていたわ。でも良かった、これ以上ドレスを質に入れると言い出しかねないからヒヤヒヤしてたのよ。そんなことをしたら着るものがなくなるもの」  その通りだ。細々と質屋に物を入れてきたがもうネックレス以外質入れするものがない。最近はキャサリンやベンジャミンすら村に手伝いに行って生活費を稼いできてくれるようになった。それでも限界なのだ。 「来年の春は、私も農作業のお手伝いをしてみるわ」  ソフィアの言葉にキャサリンは首を横に振って目をきつく閉じた。 「侯爵令嬢なのよ……。フィフィは泣き言を言わないけど、私の方が泣きたくなるわ。どうしてフィフィの周りの男たちはこんなにも非情なのかしら」  ソフィアは最近感じていることをキャサリンに言う。 「侯爵家に生まれたと思うから悲しくなるのよ。平民であれば、私の暮らしはまだまだ恵まれているじゃない?」  顎を引いて顰めた顔をしたキャサリンがそれは違うと否定した。 「平民の自由さはないもの。身につけるものだってそれなりのものを世間では求められるわ。働きに行くことだって叶わないじゃない」  貴族の娘が平民のしている仕事をするなど、確かに聞いたことがない。 「でもね、私は平民として生きるわ。パーティーに出なくていいのも気楽だし、割り切って働きに出たら生活にここまで困ることはないんですもの。そうすることに決めたの」  そこでニッコリ微笑むと、キャサリンに提案する。 「このネックレスを質に入れたら、ツケは全部払えると思うのよ。それに冬の分の食料や燃料も買えるはず。キャシーも一緒に街に行きましょう! いつもなら買えないものを買うのよ。何がいいかしら」  この提案にキャサリンは乗らず、心配顔で本当に働くのか聞いてきた。 「街で仕事がないか聞いてみるわ。農作業は春までそれほど仕事がなさそうだし、街で仕事が見つかれば冬の間もお金を稼げるもの」  キャサリンは人差し指を上げて振り回しながら「いい? ツケが払えて、冬の準備も出来るなら急いで働く必要なんてないのよ。こうしましょ。生地を購入してきてドレスを作るのよ。春までならなんとか一着作れるわ。ね?」と代替案を出してきた。 「またお金に困ったらそれを売るのね」 「そうよ。もしどこからか生活費が入ったら、そのドレスは着ればいいんだもの。いい案だわ」  キャサリンは自分の案を自画自賛して、街に行くためにベンジャミンを呼んでくると部屋をそそくさと出ていった。 (本来ならは自分の主人が働くのは耐えられないものね)  つくづく、キャサリンには苦労を掛けていると感じてシュンとなった。結婚して、もしかしたら生活が楽になり、キャサリンたちにももう苦労させないで済むかもしれないと喜んだこともあった。結局、状況は悪化し、キャサリンたちにも情けない思いを思いをさせていることにソフィアは落ち込まずにはいられなかった。
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