婚約者

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婚約者

 駅前に立っていると、婚約者である西園寺政宗が外車をロータリーに回して目の前で停車した。維持費ばかりかかりそうなこれ見よがしな高級車を見て、私はこの手のものを当然の様に乗り回すのが生まれながらの名家の出身っぽいと苦笑した。  助手席の窓が音もなく下りると、運転席からサングラスを掛けた西園寺が無表情でこちらを一瞥して声を掛けてきた。 「葵さん、乗ってください。」  この男にマナーなど期待していないが、最低限婚約者に対しての見せかけの笑みぐらい見せたら良いのにと、心の中でもう一度苦笑した。  「こんにちは、西園寺さん。お迎えありがとう。ごめんね、最近忙しくて中々時間が作れなくて。」  車に乗り込みながらそう詫びると、西園寺はどうでも良さそうに頷くと横顔を見せて、自分も忙しかったからと呟いた。昔から名を馳せている西園寺グループが今の当主、つまりは政宗の父親によって大きな負債を抱えていることは私も承知の事だった。  そのせいで成金である我が如月家との間に持ち上がった縁談だったからだ。  たまたま時勢に乗った父親の事業がうまく行ったせいで、私が小学生時代から急に金回りの良くなった如月家は、それでも普段の生活が派手かというとそうでもない。  父親の仕事がしやすい様にと、都心にそれなりの大きな家には住んでいたが、家族の仲は小さな頃と変わらず温かだった。とは言え、私もさすがに発情期のある年頃という事もあって、今は父親の所有するマンションに一人住まいだ。  都会ではいちいち駐車場を探す方が面倒なので、私は車も所有していない。それについては家族が乗る様にうるさく言うけれど、普段不便を感じないのでスルーしてしまっている。  大学を卒業したもののΩという事もあって、過保護な家族の支援を受けて自分の趣味でカフェを経営している。店には週に4日ほど顔を出しているけれど、雇っている店長やスタッフに恵まれているせいで経営も順調だった。  「…葵さん、趣味に入れ込み過ぎじゃないですか?お遊びなんでしょう?如月家のΩである葵さんが仕事をする必要もないでしょうし。それに、結婚したら俺は家に居てもらいたい方ですね。」  そう熱量のさほどない口調で言葉を吐く西園寺の横顔を見てから、私は前を向いて言った。  「趣味といえばそうだけど…。うちは西園寺家と違って元々平凡な家の出だから、仕事しないのも落ち着かないし。それこそΩであっても続けていけそうだから、今の仕事は一石二鳥なんだ。  最近はお客さんもΩの方が多くなって、彼らに居心地の良い場所を提供出来るのも大きな役割だと思ってるから、案外やり甲斐もあるんだよ。」  あまり自分の仕事の事を説明した事は無かったけれど、良い機会だからと思わず力説してしまった。余計な事を言ったかと西園寺を窺うと、彼は私からパッと目を逸らしてハンドルを持ち直した。 「…そうですか。まぁ俺にはあまり関係ないですし、結婚後も適当にやってくれるのなら良いですよ。実は今日、夜に仕事の打ち合わせがあるので、簡単な食事でも構いませんか。」  そう聞かれている様で、その実自分で決めた事を伝えるだけのこの男に、私は見合いの時とそう変わらないと小さくため息をついた。  この男が私の家の財力を欲している様に、私もこのアルファの男のその身体を必要としている。結婚なんてしなくて済むならそうしたいけれど、私には発情期があるせいで、年々抑制剤で凌ぐのに限界を感じていた。  私たちは条件で選ばれた婚姻相手なのだ。Ωである私は、この呪われた身体のせいでまさに愛のない結婚をしようとしている。  でも、それを悲嘆するほどの恋愛観が私には無かった。今まで人を好きになったことなどないし、付き合いも欲望を納めるためだけのものだ。だから発情期が来る度に苦しむ私を心配した家族が、何処からかこのアルファの男との縁談を見つけてきた。  二か月前の見合いの際、この男は何処か投げやりな風で、それでも今よりは傲慢さを隠して見せかけの優しさを滲ませた。アルファらしい体格に恵まれた、目つきの鋭い冷たげな雰囲気を滲ませた西園寺は、私より二つも下の25歳のひくてあまたのアルファだ。  実際アルファの男ならば足元の固まった30歳過ぎの結婚が多い筈で、まだ若い彼がこうしてΩと言えども、年上の私との見合いに現れると言う事が、西園寺家の切羽詰まった状況を伝えていた。  アルファの彼ならば、いずれ傾いた西園寺グループを建て直す力量もあるだろうに、不本意な状況でお互いに都合の良い条件だけでこうして婚約期間を過ごしている。  私は楽しげなカップルが街を行き交うのを車中から眺めながら、この男に私の気遣いなど無用に思えて口を開いた。 「…ホテルに先に行こう。あまりお腹は空いていないんだ。君のホテルはルームサービスも美味しいし。」  返事はなかったけれど、車の方向を変えて向かうのはいつもの西園寺グループのホテルだった。夜になればこの愛想の無い不機嫌な男から解放されるのだと、私は密かにそれを心待ちにした。  
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