政宗side余韻

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政宗side余韻

 西園寺グループのビルの中、退勤する社員に挨拶を受けながら流れに逆らってエレベーターに乗る。これから経営スタッフたちと打ち合わせだと思うと気が滅入るけれど、身体は驚くほど軽かった。  さっきまでの婚約者との乱れた時間の事を考えない様にしながら、俺は夜景のよく見える会議室に腰を下ろした。俺が抜擢した若手も含まれる新しい経営陣は準備万端で、予想以上の手応えで時間もかからず会議は終わった。  (ねぎら)いの言葉を掛けて部屋を出ると、個人秘書の戌井が廊下の向こうから俺を迎えに来ていた。  「政宗さん、間に合ったみたいですね。お疲れ様です。」  そう言いながら、この男はすれ違う社員がいなくなるとニヤリと笑って言った。 「政宗、こんな時間なのに元気な顔して。やっぱり婚約者と会って来たのが効果抜群だな。」  大学時代からの悪友である戌井は、アルファながら個人秘書を生業とする変わり者だ。実家も大きな老舗商会だと言うのに、こうして俺の個人秘書を請け負ってくれている。その実情は俺のブレーンだが。  あながち否定できない戌井の指摘に、俺は肩をすくめて表情を隠したこいつの伊達眼鏡姿をジロリと見た。  「婚約者と言っても政略結婚だ。お前も知ってるだろうに。…お前の様に眼鏡の奥に自分を隠す様な相手だ。」  そう言いながら、最近の如月葵は眼鏡を掛けるのをいつの間にやめたのかと今更の様に気付かされて顔を顰めた。無防備に顔を晒すのは良く無いのでは無いだろうか。  執務室から夜景が広がるせいなのか、砕けた姿勢を正さない戌井は俺をソファに座らせると、部屋の奥から冷えた瓶ビールとつまみを持って戻って来た。 「お前のせいで残業だったんだ、ちょっと付き合え。」  俺は戌井と冷えたビールを喉に流し込むと、締め付けられるその炭酸に顔を顰めた。 「はぁ、マジうまい。こうしてると大学の頃を思い出すな。当時はこればかり飲んでただろう?最近は忙しくてこんな時間も無かったから。」  そう言ってリラックスした様子の戌井を見ながら、俺も肩の力を抜いた。これも戌井の秘書としての手管だとしたら恐ろしい男だ。確かに戌井に指摘された様に、最近は以前の様に降り積もる疲れを殆ど感じなかった。  「お前が如月さんと婚約してから二ヶ月だろ?本人は自覚ないかもしれないが、婚約前のお前と比べると顔つきが雲泥の差だぞ。よっぽど相性がいいんだな。政略結婚と言えども、砂金の中のダイヤを見つけた様なものだ。」  戌井の意味するのは運命の番とか言う都市伝説だろうか。現実主義なはずの男の夢みがちな一面を見て、俺はニヤリと笑った。 「お前がそんな都市伝説を持ち出すなんて意外だな。別に俺は葵にびびっときた訳じゃない。もちろんあっちもそんな感じだ。まぁ相性が合わない訳じゃないが…。」  戌井は面白そうに眉を持ち上げたが、それ以上揶揄う事もなく一気にビールを飲み干すと立ち上がった。まだゆっくり飲んでいる俺の肩を叩くと、ビルの前に車を用意してあると言った。  頷いて手をヒラヒラさせて戌井を帰らせると、ひと思いに飲み干してテーブルに空の瓶をカチリと置いた。細めの瓶の周囲にまとう雫をぼんやり眺めながら、考えない様にしていたさっきまでの葵との交わりを思い出していた。  確かに俺たちは馬鹿みたいに身体の相性が良い。さっきも覚えたての学生さながらに盛ってしまった。葵の誘う様な眼差しと濃厚なフェロモンを感じるとパブロフの犬さながら、突っ込んで揺さぶりたくなる。  そしてあの、人一倍血色の良い唇から出る甘い声を部屋に響かせたくもなる。演技でないその欲望に真っ直ぐな喘ぎを自分でも思いの外気に入っていて、それは婚約者にハマっていると言う事なのかもしれない。  だから時々スマホを光らせる、優一からのメッセージを開かなくなったのもそうだし、今みたいに寝た相手のことをあれこれ考えること自体、いままでの俺ではあり得ない事だ。  そもそも葵は最初からあり得なかった。見合いの後、一度目のデートで葵はいきなり何でもない事の様に俺に言った。 「私たちあっちの相性を確かめた方が良いと思うんだ。会ったばかりでこんな事を言うのは不躾(ぶしつけ)すぎるとは思うんだけど、別に私たちは惹かれあって結婚する訳じゃないでしょ。だったら面倒なやり取りは無駄じゃないかな。」  品の良い上質なシャツを首元まで留めた禁欲的なファッションに身を包んで、細いフレームの眼鏡越しに私を見上げてそう言う如月葵に、正直ぶっ飛んだ。  大人しい印象とは真逆の意外すぎるその言葉に、俺は思わずニヤリと笑って答えていた。 「…嫌いじゃないですよ。効率的なのは。」  それから向かったホテル部屋に入るなり、如月葵は慣れた仕草で窓辺に寄りかかると眼鏡を外してテーブルに置いた。無駄のない動きで首元のボタンを二つ外すと、そこから思いの外色気のあるネックガードが覗いた。  小さく吐息をついた如月葵は窓からの眺めを肩越しに見下ろしながら、後ろを短く整えた明るめの前髪をサラリと掻き上げた。  眼鏡をしていたから気づかなかったけれど、如月葵は綺麗な顔をしていた。バランスの良い小作りな顔を印象づけるのは切れ長の大きめの一重の目だ。ふっくらした唇とのコントラストが妙に色っぽい。  見合いの画像を見て平凡な顔などと、どうして思ったのか分からないほど印象的だった。  俺があまりにもじっと見つめていたせいか、如月葵はクスッと笑って言った。  「眼鏡の時と違うでしょ。よく言われるんだ。私がΩだって判定されてから結構怖いことが起きてね。家族が安全のために眼鏡をする様にって煩くて。でも私もすっかり掛けるのが当たり前になってるから、今は無いと物足りないよ。  …ね、こっち来て。」  すっかり如月葵のペースに載せられていたけれど、それでも大人になって年上と付き合った経験がないせいで、俺は少し面白がる気持ちで葵の誘導に乗っかった。  葵に近寄ると、彼は俺の腰に手を回して身体を触れ合わせると、俺の目をじっと見つめて囁いた。 「政宗だっけ?凄い名前。でも名前負けしてないのが狡いね。…私たち結婚まで辿り着けるかな?」  近くで見ると明るい茶色の瞳に緑がかった(はしばみ)色の瞳を持つ如月葵の、誘う様な甘い匂いを感じて、俺は吸い寄せられる様に顔を近づけた。こんな分かりやすい相手なら悪くないかもしれないと思いながら。
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