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祖父が生きてた時に聞いた話。
おじいちゃんたちの広島の部隊は、九州の南の方へ行って、上陸して来る米兵を足止めすべく砂浜に穴を掘って三日三晩その中で息を潜めて待つと云う、本土侵略の足止めの為の捨て駒としての任務(もちろん死ぬ筈だった)に就いたが為に、原爆から逃れ、米兵も来ず、生き延びてしまったという事で、すっかり禿げた頭をこすりながら、「わしはあんときから、蛸じゃけえ」が決まり文句だった。
酒を食らったその頭は真っ赤っ赤で、本当に蛸みたかったけれど、赤くなるのは生きながらに茹でられてからだと大人になってから知ると、なんにもなりきれなかった祖父の悲哀と自嘲を今更ながらに感じてしまう。
子供の頃は、何度も繰り返し聞かされるその話が面倒だったし、何故僕にそんな話をするのか?痴呆をすら疑った。
蛸壺壕。蛸ならそこで生きるのだろう。しかし祖父の舞台が負った任務は、自らの墓穴を掘り、そこに自ら入って潜み、止められる筈もないとわかりきってる敵をせいぜい面食らわせて、少しの面倒事を起こして僅かにでもその侵攻を遅らせる。そんな作戦であった。
祖父は酢だこが大好きで、それでよく日本酒をあおりながら「共喰いじゃあ、くくくっ」と泣き笑いみたいになっていた。幼い僕は、わさびを付けすぎなんじゃないかと思っていた。
そういえば、祖父がちゃんと笑ったのを見た記憶は、僕にはひとつもなかった。
僕は祖父を好きだったけれども、祖父が死んだ日にはなぜだか良かったなと思った。
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