父と殺し屋と手紙

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 子どもの頃のことを思い出す。  とある街の、資産家の一人息子だった。  子どもの目で見ても、治安のいい街ではなかった。  貧民による窃盗、暗黒街の勢力争い。  小学生の私に、それらの話が聞こえて来るほどだった。  とはいえ、それでも、私にとっては距離のある話ではあった。  私の住む住宅地は、貧民窟とも、犯罪者どもが弾丸のやりとりをしている場所からも、遠かった。  話は聞こえてきても、どこかしら、おとぎの国の出来事のように感じた。  父と、こんな話をしたものだ。 「ねえ、貧民街(実際の新聞は、『貧民街』と直接書くわけもないから、もう少し穏当な表現だったとは思うが)で人殺しだって。怖いことがあるねえ、この街」 「こうしたことに、巻き込まれるのだけは気をつけなきゃいけないよ。なにしろ、うちで育ったいい子なんだから、起こすことはないだろうがね」 「うん」  無邪気なものだった。  生まれつきの『悪い奴』でない私は、そんな事件を起こすことはない。  当時の私は、子どもらしい無邪気で――そして残酷な世界観を持っていた。  子どもゆえに責められるべきでないのだろうか?  小学生であれば、もう、理解できているべきだったのかもしれない。  とはいえ、自己弁護が許されるなら、成年になってすら理解できていない人間が多い事柄である、とは思う。   ※  私は、遊園地に遊びに行くのも、デパートに買い物に行くのも好きだったが、特に好んでいたのは、資産家の父が、慈善事業の式典に出る時だった。  父はよく言った。 「街を少しでもよくしなきゃねえ」 「うん、ボクは、父さんを誇りに思うよ」  誇りに思っていたのは本当だ。  父は、この恐ろしいらしい街で数少ない美点だと、子どもの私にも見えた。  善良な資産家、篤志家。  その父の下で育った私は、もちろん、この街の悪に染まらぬ『善人』に育つだろうと思っていた。  当時の私がこのように明確に思考していたかは疑問だが、しかし、これに近い思いを持ってはいたと思う。
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