最後の夜

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最後の夜

明里は最終日、少し奮発して夕食付きのプランを予約していた。 夜に紋別で食事に行けるレストラン等は無いと思っていたし、雪の中タクシーで買い物に出るわけにも行かないと考えたからだった。 高級ホテルという訳でもないが、温泉があるらしく少し楽しみにしていた。 部屋と館内は小綺麗で、広くはないが充分にくつろげる。 「なんか食事が豪華なんだけど……カニ付いてるじゃん」 帰りの飛行機チケットを安く手に入れることができた。一万六千円だというと、マジで?半額じゃんと門脇君は喜んだ。 浮いたぶんで蟹をつけたと言ったのでなるほどと納得したようだ。 「せっかくだからカニ食べたいし、カニ付きワクワクプランにした」 「まぁ確かに、食いたいな。ワクワク記念に写真撮っとこう」 門脇君は、並んだ贅沢な料理を前にテンションが高かった。 明里とカニのツーショットもたくさん撮ってくれた。 二人で今回の旅で撮った写真を見せ合いながら、楽しかったねと笑い合った。 本当に楽しかった。おじいちゃんの散骨目的だったんだけど、それだけだったらきっと寂しい旅行になっていたと思う。 二人で来たから、おいしいねとか、綺麗だねとか寒いとか感想が言い合える。 「明日は紋別から飛行機だから、東京まですぐだよ」 趣向が凝らされた料理を食べながら明里がそう言うと「帰りたくなくなるな」と門脇君が言った。 札幌から紋別に来るだけで四時間半もかかったのに、ここから羽田までは2時間もかからない。 すぐにまたいつも通りの日常が始まる。 明里もまだ帰りたくないと思った。 ホテルには温泉大浴場があった。 部屋に戻ってから二人で大浴場へ行った。 門脇君は先にあがったみたいで、入口で漫画を読んで待っていた。彼は沢山あった漫画本に、スーパー銭湯みたいだぞと喜んでいた。 冷えた体を温めて、生き返ったような気分で仲良く部屋に戻った。 「露天風呂もあったな。濡れた髪が外だと一瞬で凍るのな。逆立てて遊んでる人がいた。サイヤ人ごっこして遊んでた。そしてお湯はヌルヌルだった」 温泉を堪能した大問くんの感想だ。門脇君も髪の毛を逆立てて遊んでいたのかな?楽しんだようで良かった。 「温泉なんだし、泉質がヌルヌルなのはいいんじゃないの?肌はツルツルになったよ」 そう言って明里は手の甲をだした。 床が滑りやすかったから歩くとき緊張した。温泉の事は詳しくないけど、肌は物凄くしっとりしたように感じる。こういうのが温泉なんだなと思った。 門脇君は明里の手を見ると、あまりわからないと言った。 そして少し照れたように目をそらした。 沈黙した時間が流れた。 門脇君は明里の手を取って、自分の方に引き寄せた。 抱きしめられた。 それは一瞬の出来事なのに、明里の中ではスローモーションで流れていく。 門脇君の体温を感じた。 窓の外は雪だ。雨とは違って音がしない。とても静かだった。 室内から漏れる灯りに照らされて、ガラスに霧氷のように凍り付いている雪がキラキラと光った。 門脇君のたくましい腕が明里を抱き寄せる。 「いい?」 門脇君が聞いてくる。 私は黙って頷いた。 紋別という名前の意味はアイヌ語の「モペッ」(静かな川)からきているらしい。川がないのに静かな川と呼ばれるのは不思議だ。 昔はここに川が流れていたのかな?と明里は思った。   明里の体を首辺りまで、しっかりと布団で覆うと、優しく頭を撫でてくれた。   大きくてゆったりと流れる、まるで眠っているような静寂に包まれた大河を想像しながら、明里はまぶたを閉じた。
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