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IX
「マギカマズルの姫ーーいや、シラティスよ。余の命を”一生に一度のお願い”で救ったこと、感謝する」
「勿体無いお言葉です」
玉座の間で、私は王冠を被り正装したジールヴェーの国王陛下に初めてこの国での正式な挨拶をすることとなりました。
「シラティスは精霊の微笑みと共に国王陛下のご健康をお祈りいたします」
私はディランから贈られた髪と同じクリーム色の繊細な刺繍の入ったドレスと、精霊をモデルにしたガラスの髪飾りを纏っています。ここに来る前に、ディランからは”まるで精霊そのもののようだ”と恥ずかしい言葉を掛けられました。
美しい装いの下で、私は緊張を隠せないでいました。
(ジールヴェー国王がマギカマズルにどういった感情を抱いているかは知らないわ)
もしかすると、命を救ったこととは関係なく、マギカマズル国にとって何か不利益なことをするかもしれません。
(心を許してはダメ)
緊張を持って壇上の陛下を見上げると、陛下はデロデロの笑顔をこちらに向けています。かなりの、満面の笑みでした。
(えーー?)
「褒美を取らせよう」
*
陛下から賜った褒美は、後日私の部屋に届けられました。雫のような形の宝石がいくつも連なったネックレスは、ジールヴェー国に古くから伝わる秘宝の一つだそうです。
「綺麗......」
「奥様にお似合いですよ」
侍女達が手を叩いて誉めてくれますが、私には少し大人っぽすぎるようにも感じました。
(これは暫く置いておきましょう)
もしかすると、もしかするとここの人々は私が思っているよりもずっと、優しい人達なのかもしれないーー。
私は自分の気持ちと共に宝石箱に蓋をしました。
*
【数ヶ月後】
「シラティスよ、今日は城下で一番のかふぇに行こう」
「シラティス、余からの贈り物である」
「シラティスよ、共に散歩に行こう」
すっかり元気になったジールヴェーの王は私を猫可愛がりするようになりました。婚姻の儀から半年程経った今、私の暮らしは快適そのものです。
「こら、父上。シラティスは俺のお嫁さんなんですからね」
ほどほどに陛下の誘いに付き合っていると、ディランが間に割り入ってきて、陛下に仕事を押し付けるのが常でした。
そんな様子をまたどこかで覗き見ていたらしいマローはまたしても苦笑いをして来ます。
「わ、笑い事ではないのよ」
「ジールヴェー国王は第一王女が大好きでしたからね。入れ替わりと言っては失礼ですが、シラティス様にも実の娘のように接されているのではないですか? ワタシもあの姿はどうかと思いますが、まぁ、嫌われるよりはマシかと」
「でも、むず痒い気持ちだわ」
私はマローの元で相変わらず研究への協力を進めています。
マローが開発した”魔法紋:小さな風を起こす箱”は、紋に触れるだけで涼を取ることが出来る優れものでした。ジールヴェーの一部では火の月にとても日差しが暑くなり、倒れてしまう人も居るとのことでした。そこで、孤児院や警備員などにこの箱を贈るととても喜ばれたとのことです。
マローはきちんと約束を守り、私の名前も協力者として宣伝してくれました。マギカマズル国から嫁いできた風の魔法使いシラティスの協力で新しい技術が開発されることもかなり広まっています。
「シラティス様、これからも魔法紋の研究を続けましょう。また新しい境地が見えそうなのです」
「えぇ、もちろん。私も協力するわ」
そうは言ったものの、これで良いのでしょうか。
(私、ジールヴェーで暮らそうとしている? そんなことないわ)
心のざわつきが、いつもそばにありました。
*
そんなことを考えていた頃でした。
いつもの顔合わせ予定日に現れたディラン様は、まるで庶民のような格好をしていました。整った金髪を隠すようなハンチング帽に、灰色がかったシャツ、そしてサスペンダーに泥のついた長靴のような格好をしています。
「ほら、シラティス。今日は俺とお忍びデートだ」
「お、おしのびでぇと?」
「うん、ほら。キミ達。シラティスに例の衣装を合わせてあげて」
侍女達にキャッキャと囲まれると、私の姿は一瞬で町娘と様変わりしました。髪の艶が目立つクリーム色の髪の毛はダボっと束ねた上で帽子の中に隠されて、今若い子の間で流行っている大きなボタンが各所におしゃれで付いているワンピースが目を惹きます。
これではおろしたてで逆に目立つから、と敢えて少しだけ汚したりもしました。
「町娘の姿も可愛い。さ、行こう」
低いグレードの馬車に乗って、城下へと向かいます。以前はディランとは城内の庭園で一刻のみのお茶会をするだけでしたが、陛下が元気になってから、ディランの自由な時間も増えたようです。
(そして、前よりも自然な笑顔が増えました)
ディランは以前からフランクではあったのですが、絶対に仲良くなろうという圧があったような気がします。馬車に揺られながら、反対側に座るディランの顔を見つめてしまっていました。
「何、笑ってるの?」
「え? 私、笑っていましたか?」
「うん、幸せそうだった」
私は本当にどうしてしまったのでしょうか。
ディランだけは、好きになってはいけないのに。
ディランが幸せそうなことを、嬉しいと思ってしまう自分にチクリと罪悪感を感じました。
*
「ボンガレボンド、美味しいボンガレボンドだよ!」
大きな声をした商人達が客引きをしています。
何度か歩いたことのあるジールヴェーの城下は、とても賑わっていました。白い石畳の街並みで、商業区と居住区があります。少し離れた郊外に工業区や農業区、漁業区があるということで、新鮮な食べ物や珍しい物には事欠きません。何本かの街道が地方にも繋がっていて、そこからも季節のものが入ってくるとのことでした。
「ボンガレボンド、食べる?」
「ボンガレボンドとはなんでしょうか」
私はジールヴェー国のことを勉強していますが、まだ知らないことが山のように沢山あります。
「果実に糖蜜を掛けて火で炙った料理だよ。部分的にしんなり甘いところと、シャリシャリしたところが味わえて美味しいんだ。ーーおじさん、2本ちょうだい」
ディランは手慣れたように赤い皮がついた果実の串を買って手渡してくれました。
「こうやって食べるんだ」
切れ目にそって剥くとスルリと赤い皮が剥けて、黄色の実が顔を出します。これにかぶりつくのだそうです。
「果汁が滲み出て来て美味しいです」
これは初めて食べる味でした。夢中になって齧り付きます。
「これは父上と一緒だと食べられないからね。食べたくなったらーー」
「ディラン様と、ですね」
ディランがマローや陛下と少し張り合いがちなのもよくわかりませんが慣れて来ました。
*
数時間遊び回って、私たちは鐘楼の上に居ました。
夕焼けまでこうして2人で歩いたのは初めてかもしれません。日が落ちていくのを2人で見ながら、肩を近づけて座っています。
「シラティス、改めて父上の病気を治してくれてありがとう。本当は怖かった」
「何がでしょうか?」
「独りぼっちになってしまうこと、がだよ。父上はもう助からないと聞いていた。アリシア姉上はマギカマズルに嫁いでしまった。母上は前から居ないけれど、俺は突然家族が居なくなっていって、本当は不安だったんだ」
ディランが私と距離を詰めたがっていた理由が、やっと分かった気がします。
(血の繋がった家族がいなくなってしまうのが寂しかったから、新しい家族になる候補の私を大事にしたんですね)
私はまた、心臓が苦しくなります。
(だって、私は半年後には居なくなる、裏切り者だから)
ディランが無垢な眼差しで信じている私は、ジョーカーのような存在で、いつか大変な傷を負わせてしまうでしょう。
「そうだ。シラティス、ずっと気になっていたのだけれど、マギカマズルには手紙を書かないのかい? アリシア姉上からはよく届くけれど、シラティスが手紙を書いているところは見たことがない」
「マギカマズルの王族には嫁いで一年は里に知らせを送らない決まりがあるのです。里心が付いて実家に帰りたいと言ってしまうかもしれませんから」
嘘です。
私は政治的な駆け引きや情報に詳しくありません。ならば下手な真似や疑われるようなことはしないようにと、お父様から禁じられているのです。
「そっか。シラティスは寂しくない?」
「どう、でしょうか」
寂しいです。
どこに対しても偽りや裏切りを抱えて居場所がないような気がして。
(でもそれは、ディランには絶対に言えない)
俯く私の手をディランはそっと握りました。
*
(私は......この国で一体、何をしているのでしょうか......?)
それから数日、私は考え込みました。
私は憎きジールヴェーに復讐する筈が、陛下を救ったことでジールヴェーの多くの人に感謝され、涙を流される存在になりました。また、魔法紋の研究に協力することで、人々の生活を豊かにしています。
お父様やお兄様が聞けば卒倒するやもしれません。
いいえ、裏切り者と罵られるやもしれません。
《クスクス》
《気にしなくていいのに》
《大変なことになったね》
漠然とした、精霊達の声です。彼らはこうしてたまに私に会いに来ることがあります。何かを問うても答えてはくれませんが、側に居ることは感じられます。このことからも、私は”一生に一度の願い”を使っていないようです。
しかし、それを告げるには周りが感激しすぎていて伝えられないのでした。仕方なく、嘘をついたまま過ごしています。
(私はもっとこう、針の筵の中で暮らすべきなのに)
責められている方が楽なのに、と思ってしまう自分が居ました。
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