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Q1.雨は嫌い?好き?
嫌い:80.0%。
好き:15.0%。
どちらでもない:5.0%。
どうでもいい内容の、くだらないクラス新聞。文字を綴っていた手を止め、ため息と欠伸を飲み込みながら窓の外を見る。色褪せた視界に映る世界のすべてが、つまらない。ことごとく粉砕して、破壊しつくしたくなる。
「ねぇ、ファンデーション、忘れちゃったんだけどぉ。」
「えぇー、なにそれ、もぉ。」
「柚乃バカ、仕方ないからかしてあげる〜。けっこう高かったやつだよ~。」
横目で見れば、キャアキャア騒ぐ女子グループが、教壇の前を陣取っていた。
「ぅわ、見てみて。ストレンジャーがこっちみてる。」
「ほんとだ―。ってか、エトランジェから変わってない?」
「いいのいいの。」
くだらなすぎる。生ゴミ以下。そもそも私は、エトランジェでもストレンジャーでもない。エトランジェは外国人旅行者のことだし、ストレンジャーも同じようなもの。そして、私は日本在住だ。パパがグループの上席で、最近日本のIT関連の会社――詳しくは覚えてない――の社長に任命されたため、私とマンマも半年くらい前に日本に引っ越してきた。ちなみに、私の話す日本語がそれなりに流暢なのは、幼少期からの英才教育のたまものである。
横においてあった鞄に書きかけの新聞と筆記用具を適当に詰め込み、教室を出る。後から、うるさく響く高い声が追いかけてきた。
「そもそもさぁ、あいつに愛想ってもん無いのかなぁ。」
「顔よし、頭脳よし、でも性格に難ありってね。」
「顔いいけどさぁ、眼力強い迫力系だよね。」
「上っ面だけで、中身空っぽ。」
たしかに、私は愛想がある方とだは言えないだろう。性格も、お世辞にも良いとは言えない。分類的には、性格破綻者に私は入るのかもしれない。
何か意見があればはっきりと言うし、静かな方が良い。誰かといることは嫌いじゃないが、つるむことは大嫌い。何より、一番ひどいのが―――。
「あの漫画、告白シーンがめっちゃいいんだよねぇ。」
「そうそう。あぁ〜、私もあんなふうに告白されたいっ。」
「ムリムリ、諦めたほうがいーよ。」
うるさくて騒がしい女子、これでもかというほどお化粧臭い女子、どうでもいいくだらない会話やもの、優柔不断でコウモリのような態度、美しくないもの。こういったものは、すべて嫌悪対象だ。この鞄の中にある、委員会の仕事で書かされている紙くずも、本当なら今すぐゴミ箱に投げ入れたいほどだ。吐き気がする。
明け方まで小説を読んでいたせいで寝不足なことも相まって、なんだか虫の居所が悪い。私は、全身から不機嫌オーラを撒き散らしながら靴を履き替える。
「―――あ。」
しまった、と思った。
雨は大好きだが、雨に濡れるのは大嫌いだ。濡れ鼠みたいでみすぼらしいし、服が肌にはりつく感じが気持ち悪い。それに、前に一度風邪をひいた。
仕方がないから、このザーザー降りの雨を止むのを待つことにした。幸いにも、夕立だから長くは降らなそうだし。
こうして待っていると、小さい頃を思い出す。あれは、まだ日本じゃなくて、イタリアに住んでいた頃。ローマの夏は、特に熱くて日差しが強い。
スクオーラ・エレメンターレ、日本で言うところの小学校の授業が十三時に終わり、さて帰ろうかと外に出たら、珍しいことに雨が振っていた。雨脚はあまり強くなくて、傘は無いけど良いか、帰ろう、と足を踏み出した。やっぱり同じようなことを考える人は多くて、屋根の下は人で埋め尽くされていた。仕方ないから濡れそぼって歩いた。
しばらくして、周りが浮かれたような声を上げ始めたことに気がついた。なんだろう、と小さな体で、見上げれば首が痛くなるほど背の高い大人の間をぬって空を見たら、きれいなきれいな、大きな虹が出ていた。それをみたら、身体に張り付いた服や頬に張り付いた髪の毛が気持ち悪いだとか、悪寒がするだとかいった邪念はすべて消え去ってしまって、空っぽになった頭に残ったのは、純粋な、美しい、という感動だけだった。
雨が上がった頃に家にたどり着いた。マンマが心配して額に手をあて、慌てて私をベッドに押し込んだのも、後から帰ってきたパパが、おろおろとした様子で右往左往していたのも、慌てて帰ってくる途中で、薬や消化に良い食べ物を後からご近所さんにも配らなきゃいけなかったほど大量に買ってきていたのも、今では良い思い出だ。当時は、笑えないほど辛かったけど。
「ねぇ、傘ないの?入ってく?」
思い出に浸っていたというのに、邪魔をされた。ギロリとそちらをにらみあげると、優しそうできれいな顔立ちの男子生徒が傘を差し出して佇んでいた。同じクラスの人気者で、確か、名前は―――
「わぁっ、虹だ……。」
きれいな虹が、彼の制服の肩の部分から生えていた。いつかの虹と同じ、七色の。そのとき、ハッとする。
「……ごめん。え〜っと。」
少々バツが悪い思いで、先程の男子生徒を見上げる。
「あ〜。僕、星川樹月。」
「ルフィラ・カッペリ。」
「知ってるよ。というか、七月下旬にもなってクラスメイトの名前覚えてないの、君だけだと思うよ。」
「ふ〜ん、そう。……雨、もうすぐ上がるだろうから、良いよ。一人で帰って。」
アッリーヴェデルチ、と手を振り、霧雨が降り注ぐ、前方に虹を望む道に足を踏み出す。
「また今度、話そうね。」
背後からかけられた声に、くるりとスカートをひるがえす。
「邪魔な上にめんどくさいから、やだ。」
「なんて言っても話しかけるからね。覚悟しといて。」
いくら嫌な表情をしても変わらない爽やかな笑顔に、何を言っても無駄だと悟る。
「チャオ、ぼっち。」
たいして親しくもないのだが。私は黙ったまま背を向け、ため息をと欠伸を飲み込みながらひらひらと手を振る。
目の前には、雨雲の晴れた青空に、鮮やかで美しい、大きな虹が架かっていた。
私が生きる理由は家族と虹だけ、だったはず……。
「何なの、あの女。」
「ありえない、親の威を借りた化け物ごときが。」
「早く、指令通りに―――」
下駄箱の陰から、抑えられた足音と人声が去っていった。
流麗な筆跡で書かれた、明らかに日本語ではないメモを残して―――。
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