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4.壮真(3)
挨拶をしてきた女性は、ショップカードを差し出しながら、祖母に挨拶をしている。
「硝子で器からアクセサリーまで色々作ってます。今回初参加なんで、宜しくお願いしまーす。あ、こっちのでかいのは手伝いの弟です」
壮真は学校の話など一切せず、祖母と棗に「宜しくお願いします」とだけ告げると、準備を再開した。
「つきまとうな」って言われたの、律儀に守ってるんだ……
しかし、なにしろ隣のスペースだ。逆に棗のほうが彼らの行動が気になってしまう。
「壮真、そっち値札作って。――しまった、油性ペン忘れちゃった。あんたコンビニで買ってきて」
断じて聞き耳を立てていたわけではない。それでも聞いてしまった以上、知らんぷりはできなかった。ここから一番近いコンビニでも、歩いて行くには距離がある。そんなの、時間と体力のロスだ。
棗は荷物の中から油性ペンを取り出した。
「あの、良かったら、使ってください」
「――ありがとう」
壮真は一つ瞬いて、ペンを受け取った。
やっぱり、お礼はちゃんと言ってくれるんだよなあ。
祖母や姉の手前、突っぱねるわけにもいかないだろう。それにしてもだ。
おれは、榊に「迷惑」みたいなこと言っちゃったのに。
「あの、ペン二本あるから、おれも手伝うよ」
申し訳なくなって、そう切り出した。用意されていた値札に、壮真の姉が用意していた一覧表を見ながらどんどん書き込んでいく。
「うまいもんだな」
「いつもマルシェの手伝いしてるから。できれば、価格帯ごとに並べて置いて、そこに大き目の値札もひとつ置くといいと思う」
「本体についてるんだから、それでよくないか?」
「そうだけど、ぱっと見てわかったほうが安心だと思う。お客さんが」
多分、そのほうが手に取ってもらいやすい。それは、何度も祖母の店を手伝って得た経験則だ。
ふと視線を感じてちらっと盗み見ると、なぜか、壮真はやさし気な笑みを浮かべてこちらを見ていた。
――まただ。
なんで睨んだかと思ったらそんなやさしい顔をするんだろう?
そんな顔をされると、なんだか忘れ物をしたときのような胸のざわめきを感じる。忘れてきたとしたらあそこだと思うけれど、実際に目にするまでは落ち着けない。あの感じに、なぜかよく似ていた。
「ああ、いたいた、青柳さんとこのお孫さん」
記憶の中でなにかがつながりそうになったとき、法被を着た年配の男性が声をかけて来た。何度か話したことがある。運営委員のひとりだ。
「このあとのティラノサウルスレースなんだけど、急に一人欠員が出ちゃって、君出てくれない?」
「え……」
そういえば、今回は新しくそんなコーナーがあるとチラシに書かれていたような気がする。
参加者全員が恐竜の着ぐるみ着用のレース。空気で膨らますタイプの着ぐるみは、大きくて不安定だから、ふらふらする様子が面白い――というものだ。
着ぐるみかあ。
棗は眩しいほどによく晴れた空を見上げた。
この辺りは盆地で、元々夏も冬も厳しい。加えて近年の異常気象もあって、春とはいえ、今日は朝から気温が例年より高かった。蒸してもいる。レース開始時刻にはもっと暑くなっているだろう。
――大丈夫かな。
あまりよく眠れなかった今日のコンディションでは、正直体力が不安だった。
「今日の目玉だから、盛り上がらないと困るんだよ」
弱り切った様子でそう重ねられる。棗にはもう選択肢はないも同然だった。
だって、断ったらこの人困るだろうし。
ばあちゃんずっとここのマルシェに出たいだろうし――もしおれが断ったことで、ばあちゃんがなにか言われたりしたら。
すぐ隣の長身が一歩前に進み出たのは、棗が「出ます」と言いかけたときだった。
「それ、面白そうなんで、俺が出てもいいですか?」
「え――あ、ああ、もちろん」
突然割って入った壮真のイケメンぶりに圧倒されていた実行委員――おじさんまで虜にするなんて、おそろしいイケメンだ――は、我に返ると頷いた。「じゃあ説明するから!」と声をかける実行委員に続きながら、壮真がちらりとふり返る。
「青柳は少し座ってろ」
――ん?
もしかして、おれが困ってるの見かねて助けてくれた?
「また……?」
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