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「店番は大丈夫そうだから、見に行ってこうし」
「私も壮真の雄姿見たかったなー」
祖母と壮真の姉、ふたりに口々に言われると頑なに拒む理由も見つけられず、棗はレースが行われるグラウンドに向かった。
出店の合間を縫って、トラックの見える場所に出る。中央に、ティラノサウルスの着ぐるみを着た出場選手が勢ぞろいしていた。
「はい、では皆さんレースの前に、まずは準備運動、はじめ~」
かけ声で、ずらっと居並ぶティラノたちが体操を始める。そのゆらゆらした動きに、会場のあちこちから笑いが漏れた。
それが終わると、いよいよレース開始だ。
「榊が出るなら成年男子の部かな。みんな着ぐるみだからよくわかんないな……」
壮真の姉のためにせめて動画でも、と思うのだが、どうやら難しそうだ。
『位置について、よーい、スタート!』
パン、という音と共に各ティラノが一斉スタートする。成年男子の部だけに、他の部よりも足取りのしっかりしているティラノが複数いる中で、ひときわ力強く駆け抜けるティラノ――
「あれだな」
イケメンはオーラは、着ぐるみさえ透過するらしい。
結局、成年の部の優勝はぶっちぎりで壮真に決まった。
開始前に危惧した通り、気温も湿度もどんどん上昇して、棗は額の汗を拭う。
見ているだけでこれなのだから、着ぐるみを着ていたらなおさらつらいはずだ。
棗は壮真の姿を探した。
「榊」
レース参加者用のテントの中で上半身だけティラノを脱いで休んでいる榊は、棗の姿を見つけると、にこっと笑顔になった。初日に散々睨まれたからだろうか。そんな顔をされると、とても眩しく破壊力がある。
「お、お疲れ様」
「ああ、少しは休めたか?」
やっぱり、おれを気遣って引き受けてくれたんだ。
こっちは迷惑だと言ってしまったのに。いったいどういうつもりなんだろう。
「暑いよね、飲み物買ってくる。あの、代わりに出てくれたお礼」
「――礼なんか」
なんだかいたたまれなくなって、棗は礼を口実にその場を離れた。
どうせなら、と町名産の柚子ジュースの列に並ぶ。
気温が上がっているだけあって、みんな冷たいものを求めるらしい。思ったより列が長く、時間を取られてしまった。
――待たせちゃったな。急がなきゃ。
娯楽の少ない田舎だから、こういうときは人の出が多い。特にすぐ食べられるものの売店周りは盛況だ。
人混みを縫うようにして先を急ぐ最中、すれ違いざま誰かにぶつかってしまった。
「すみません――」
慌てて謝って、相手の服を汚したりしていないか確認しないとと面を上げたとき、棗は息を詰まらせた。
「青柳?」
「……小久保」
中学の同級生、小久保。
隣の市の高校へ進学したから、顔を見るのは卒業式以来だった。
小久保のほうも驚いたような顔をしてこちらを見ている。
「どうして、ここに?」
「……おばあちゃんがマルシェ出店してて、その手伝いで」
どうにか答えたその言葉で、小久保は口の端を歪めた。
「へえ。――おまえ、今でもそうやって同情稼いでうまくやってんだな」
「――」
言葉が胸を抉る。今でも棗の中に濃い影を落とす記憶が、よみがえってしまった。
『いいよな、青柳は』
立っているのに、すうっとどこかに落ちていくような感覚に襲われる。
手指から力が抜けて、ジュースのカップを落としてしまった。がしゃっと音を立て、氷が飛び散る様を目にすると、棗のパニックはますます深まっていった。
……どうしよう。吐きそう、かも。
その場にうずくまってしまいそうになったとき、後ろから誰かに支えられた。
「青柳!」
――壮真だ。
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