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6.あのこ
クラスメイトの前で泣いてしまった。それも、転校してきたばかりの奴の前で。
男子高校生としてこれ以上ないくらい恥ずかしい。
だから教室のドアを開けるのはとても気が重かった。悪いことをしたわけでもないのに、敢えて後ろのドアまで回ってそーっと入る。
そーっと入ったのに、壮真は目ざとく振り返って、
「おはよう」
と爽やかに声をかけてきた。
なるべく音も立てず、気配も殺してたのに、なんで。
「お……はよう」
「昨日」
きた。
思わず身構えてしまった棗に、壮真は小さな蝋引きの袋を差し出してくる。
「値札付け凄く助かったって、これ、姉から」
てっきり泣いたことをこすられると思っていた棗は、拍子抜けしてしまった。
「いいのに……」
「受け取ってくれないと、俺があんたはお使いも出来ないのって詰められる」
壮真が、まるで悪戯を咎められた子供のように渋面になるから、結局受け取ってしまった。このイケメンをあんた呼ばわりし、一瞬でもこんな顔をさせられるお姉さんは凄い。
「わかった。ありがと」
昼休みになり、棗は壮真から受け取った袋の中身を千野と長谷部にわけた。ヌガーの中にドライフルーツや砕いたクラッカーを練り込んだお菓子だ。表面には粉砂糖がまぶしてある。
「おお、なにこれ」
「なんだかわからんけど美味いな」
「雪花酥って言うらしいよ。昨日、町民祭りで榊のお姉さんとブースが隣になって」
棗がそう説明するやいなや、千野は眉を潜めた。
「大丈夫だったのか?」
「大丈夫だよ。代わりにレース出てくれて。……あと、小久保に会った」
「は?」
中学の作文事件のとき、千野と長谷部は隣のクラスだった。
棗がしばらく学校を休んだ理由をあとから知ると「俺らがいたら、小久保なんかに調子に乗らせなかったのに」と自分のことのように憤っていた。二人が自分に対してどうにも過保護なのは、そのことを気にしているからなのかもしれない。
「それも、榊がいてくれて、なんとかなったから」
小久保の顔を見た瞬間、暑さのせいではない汗が噴き出るのを感じた。あのとき、壮真がいてくれなかったら、あの場にしゃがみ込んでしまったかもしれない。
「思ったより悪い奴じゃないみたい」
それどころか、たぶん、だいぶいい奴……?
いつの間にか棗の胸にはそんな感情が生れていた。
「でも、じゃあなんで睨んで来るんだよ」
長谷部が弁当を頬張りながら頷く。
「俺のことも凄い形相で睨んできたぞ」
「うーん」
三人頭を突き合わせて考えても、よくわからない。
「あ、そういえば、謎に宿題とか言われた」
「宿題?」
「なんだそれ」
「うーん」
それから話は千野の推しのVチューバーの話や、長谷部の夏の予選の話へと移り、宿題の正体がなんなのか、結論も出ないまま昼休みは終わってしまった。
二人と別れて、教室に向かっていると、廊下の前方に壮真の姿があった。学食で昼を済ませてきたのだろう。
「宿題ってなに?」と訊ねるなら、今がチャンスだろうか。
駆け寄ろうとしたところで、先を越された。
「榊くーん」
「ひとりだったの? 青柳君たちと食べるかと思ってたのに」
クラスの女子たちだ。自分の名前が聞こえてきて、身構える。
「ね。青柳君とだけずいぶん仲良くない?」
仲がいい?
初日に女子の誘いを断ったことが、そんなふうに伝わっているのだろうか。
身構えていると、壮真が応じているのが聞こえた。ひどくあっさりとした声で。
「いや? 全然」
****
教室に戻り、授業が始まってからも、棗の頭の中には先ほどの光景が広がっていた。
なんだろう、なんかもやもやする。
たしかに仲は良くない。それどころかつきまとうなと言ったのはこっちだ。
でも、作文事件のことを話したのは、千野と長谷部以外では初めてだったのだ。……自分の、傷ついた姿を見せたのは。
なのに「全然」って。
別に仲良くなりたいわけじゃないけど、もう少し言い方があると思う。
やっぱり、誰かに自分のことなんて、話すもんじゃない。
結局午後の授業中悶々として、身が入らなかった。気づけばもう放課後だ。
早く帰って復習しよ――
のそのそと荷物を鞄に詰めていると、隣で突然壮真が勢いよく立ち上がった。
「青柳――」
「え、」
壮真がスマホ画面をこちらに見せてくる。どうやらあの姉からのメッセージのようだ。
『青柳さんのおばあちゃんが怪我してしまって、病院に連れて行きます』
『棗くんに伝えて』
『男手があったほうがいいから、あんたも来なさい』
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