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電話は純菜からだった。といっても以前のような緊急事態ではなく、単にお使いの依頼だ。
ふたりは一緒に買い物をして帰宅した。
「ただいま」
「お邪魔します」
「おかえりー。晩ご飯一緒に食べさせてもらって帰るから」
「すみません」
壮真が頭を下げると、祖母は「こちらこそー」と笑う。
「なにからなにまでじゅんちゃんにお世話になっちゃって」
いつの間にかじゅんちゃん呼びになっている……。
さすが、こんな田舎でカフェをやろうと目論むだけあって、コミュ力が凄い。
「あんまり油断しないでください。不当に安く仕入れ値を買い叩かれそうになったら、すぐ俺に言ってください」
「こら、壮真!」
壮真が真顔で告げると、すぐさま純菜が咎め、それで祖母はますますころころと笑う。
純菜が来てくれるようになってから、この家の雰囲気は明るくなった。笑い声を上げるのなんて、両親が死んで以来だ。
祖母が楽しそうにしていると、棗もほっとできる。その点は純菜にも壮真にも感謝しなければいけない。
「ご飯もうちょっとかかるから、お風呂でも入ってこうし」
「じゃあ、榊からどうぞ」
「一緒に入ればいいじゃんけ」
――おばあちゃん、それはセクハラ。
祖母の世代には、まだこれがセクハラという意識はない。なんならふたりを本当に小さな子供と思っているのだろうが、反応に困ってしまう。
「あ、俺ちょっと課題先にやりたいんで」
幸い壮真がさらっと流してくれて、棗はほっと胸を撫で下ろす。
――流してくれっていうか、素でそうだよな。一緒に入るわけない。
棗は足早に風呂に向かった。
「おばあちゃんってば――」
ぼやきながら体を洗って、湯船に浸かる。たっぷり張られた清潔な湯が体を包み込んで、棗はふう、と息を吐いた。
今日はなんだか疲れた。心臓がいつもよりばくばくしたから。
『黙って』
どうしてばくばくしてしまったのか思い出すと、またばくばくしてしまいそうだ。
石けんも使って、シャンプーも使ったのに。
「……榊の匂いがする気がする」
棗は呟いて、鼻先までお湯の中に沈んだ。
**********
居間の座卓にノートを広げ、壮真はじっと手元を見つめていた。一見すれば真面目に課題をこなしているように見えるのだろうが、ノートには『初恋』の文字が書き付けられている。
初恋? 誰が? 棗も?
そんな夢みたいなことあるんだろうか。
転校を決めたとき、正直、心のどこかで冷静な自分が突っ込んではいた。
なんだよ、初恋の相手を探しに行くって。
おまえは両親の元を離れたかっただけなんじゃないのかよ。
正直それはあった。自分をマスコットとして扱うのをやめてもらったあとにも、わだかまりは残っていたから。
でも、実際棗と再会したら、そんなものは吹き飛んでしまった。
はじめこそ、なんだかうじうじした奴になってしまったと思った。
それでも、完全に幻滅することはできなかった。
桐子から電話がかかってくる度、なにをおいても真っ先に応答する姿。
『そのほうが安心だと思う。お客さんが』
『ご、ごめん、ジュース……』
いつも相手を思いやる。そのやさしさは変わらない。
昔の棗も、今の棗も、俺を惹きつける。
あのロッカーで、あと少しでも触れ合っていたら――
ふっと鼻先を石けんの香りがかすめて、壮真は面をあげた。
――なんだ……?
香りは、掃き出し窓の向こう、庭から漂ってくるようだ。
少し考えて、はっと気づく。
青柳家の風呂は、増築されたものらしく、長方形の母屋に、そこだけ出っ張ったようになっている。居間の掃き出し窓が開け放たれていると、風向きによっては水音が聞こえ、石けんの香りが漂ってくるのだ。
棗が、風呂に入っている様子が。
どういう拷問だ。
もちろん自分は棗と将来的にあんなことやこんなこともしたいと思っているけれど、不可抗力とはいえ、こんなのぞきみたいなのは、困る。
咄嗟にロッカーに隠れたとき、腕の中に抱いたその体。すっぽり収まってしまう体。それが、今――
壮真は苦り切った顔で呟いた。
「……まいったな……」
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