9.冗談じゃないから

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9.冗談じゃないから

「ロゲイニング?」  昼休み、壮真を交えた四人で弁当を食べながら千野が言い出した言葉に、残り三人の声がハモる。 「そそ。簡単に言うと、チェックポイントの写真撮りながらゴール目指すゲームなんだけど、みんなで参加しようぜ」  周到なことに、千野はチラシまで持ってきていた。ほい、と見せられた紙面を皆でのぞき込む。 「ああ、上の神社の祭りに合わせてやるんだ」  どうやら街中を歩いて写真を撮り、それでポイントを稼ぐというものらしい。 「地域の活性化イベント、いろいろ頑張ってるんだな……」 「千野のお目当てはこれだな」  長谷部が気づいてチラシの隅を指さす。そこには、なんとかというVチューバーがロゲイニングの公式アンバサダーになっているらしく、参加賞でコラボクリアファイルがもらえるという旨が書いてあった。 「俺は出てもいいぞ。街の中を見て回れるちょうどいい機会だし」 「さっすが榊」  元はといえば千野は壮真を一番敵視していたのに、現金なものだ。 「桐子さんの手伝いがあるのか?」  その日はゴール地点である神社の境内にマルシェも出るから、祖母も出店する。 「純菜さんとまたお隣で出店するから、それは大丈夫みたい」  祖母と純菜はマルシェの際にお互いを手伝って、すっかり距離が縮まっている。  それに付随して、壮真も青柳家に顔を出す頻度が高くなった。そうでない日も、祖母の口から「じゅんちゃんが」「壮真君がね」と話題に上る。  祖母が楽しそうなのは嬉しい。  ただ――お互いに初恋同士だとわかって以来、なんだか落ち着かないのだ。名前を出されるだけで、ちょっと意識してしまう。ほんのちょっとだけ、体温が上がるような感覚があって戸惑ってしまう。    今だって、隣り合っている右側だけ妙に熱い。  ――って、おれはなに考えてんだ。  初恋って言ったって、子供の頃の話だ。きっと冗談に決まってる。  でも―― 『俺が半分こにしたくてするんだから、いいんだよ』  あれはちょっと、嬉しかった。  誰かに心を半分預けられることは、怖いけど、やっぱり嬉しいことだと思う。  ――それだけだから。そういうんだから! 恋愛的なあれではないから!  棗は弁当の残りをかきこむ。なにか別の物も無理矢理一緒に飲み下すように。 ****  そんなこんなで迎えた週末の空は、よく晴れていた。 「ロゲイニング日和!」  道の駅の駐車場で、千野が嬉しそうに声を上げる。   ここがスタート地点で、最終ゴール地点の神社は、祖母の持つ柚子畑よりまだ山の上だ。  結構な山道を歩くことになるのだが、意外なことに若い女性のグループも何組か参加していた。Vチューバー効果だろうか。 「ただ回るだけじゃなくて、このチェックポイントシートと同じ角度で写真を撮らない得点にならないんだ?」 「そ。んで、撮影スポットによって加算されるポイントが違うからさ、どういうルートで回るか、事前の作戦会議が大事になるわけ」 「俺はまだ土地勘がないから、ルート決めはみんなに任せる」 「任せとけ」と千野が勢い込み、長谷部が頷く。  棗も微力ながら会議に参加しようとマップをのぞき込んで、気がついた。  ――あの神社。  壮真と初めて会った神社が、チェックポイントの一つに選ばれている。が、もらえるポイントはさほど高くない。  ここは外して回ったほうが効率的かもしれない。などと考えていると、壮真の美しい指先が写真をとん、とつついた。 「ここはルートに入れて欲しい」  ――同じとこ見てた。  だからなんだってわけじゃないけど。  まただ。  また、あの、ちょっと体温が上がるようなこの感覚。 「ん? いいぜ。どうせゴールまで通り道だし。座るところもあるから一休みできるしな。こっから先ずっと坂だし」 「ありがとう」  そっかそっか。そういう戦略的な話だよな。――だよな?  おおよその作戦を立て終り、出発した。  スタートから本気でダッシュするチームもいれば、のんびりウォーキングを兼ねてといった様子のチームもいて、スタイルは様々だ。  千野のお目当てのクリアファイルは参加賞だが、ゴールまで行かないともらえない。ひとまずチーム千野は制限時間内ゴールを目標とした。 「あれ、明治の頃の小学校の校舎。今は資料館になってる」 「プールの後この駄菓子屋でやっすいカップ麺食べるのが定番だったよな」 「ここの犬いつも今日は吠えないな、吠えないな――吠えたっ! ってタイミングで吠えてくるから要注意」  などと壮真に説明してやりながら、順調に写真を撮っていく。  ただし、天候は順調とはいかなかった。  出発時点では目に沁みるほどの青空だったのに、いつの間にかどんより薄墨を流したような雲がたなびき始めている。  開始から一時間ほどで、件の神社にたどり着く頃には、ぽつ、ぽつと降り始めた雨粒が、道路に丸いしみを描き始めていた。 「なんかやな感じだな」「ゴールまでもつかな」そんなことを口々に交わしながら件の神社の鳥居をくぐった瞬間、雨足は滝のように強くなった。 「ここからだと、コンビニより俺たちの家のほうが近いな」 「一旦帰ってレインコート持ってくるから、ふたりはここで待ってて!」 「え、あ、ちょ」  どうしても途中リタイアしたくないらしい千野は、そう言い置くと止める間もなく長谷部と一緒に走っていってしまった。 「しょうがない。あそこ座って待とうか」  棗は壮真を誘い、賽銭箱を背にして本殿の階に座る。ぎりぎりだが、どうにか雨はしのげそうだ。  神社を取り囲むように植えられた杉の木は大きく、空を塞いでいる。その上、幕のようなこの雨に覆われると、そこはまるで外界から遮断されているようだった。 「棗」 「んん?」 「もっとこっちに来ないと、濡れる」 「あ、うん」  さりげなく、少し距離をとっていたのを見透かされるようで、気まずい。  この雨で立ち往生しているのだろう。他の参加者たちが訪れる様子もない。感じるのは、ただ壮真の気配だけだった。  雨に濡れたせいだろうか。濡れたシャツの匂いがする。  壮真は前髪を乱暴にかき上げると、ふるふると首を振って、落ちてきた前髪を指先で整える。そんな仕草のひとつひとつが絵になるから、いつの間にか見入ってしまっていた。  ――まつげ、なが。 「雨でも蒸すな。水分摂っておこう」 「あ、う、うん」  一瞬、意識していたことを悟られてしまったのかと思った。棗は何気ないふうを装って、鞄から水を取り出す。キャップを回して口をつけようとした瞬間、手元が狂った。 「あ――」  棗の手を離れたペットボトルは階の下まで転がって、中身は参道の石畳にぶちまけられてしまった。 「あー……」  なにやってんだ、おれ。  いろんな意味の情けなさが入り交じり、力なく呻いてしまう。壮真はそんな棗を笑うこともなく、自分のペットボトルを差し出してくる。 「大丈夫か? ほら」  ――ほらって。飲めってこと? 「……ありがと」  躊躇するのもおかしな気がする。棗はペットボトルを受けとって口をつけた。  出発地点で買っておいた水はすでにぬるくなっている。  そのせいなんだろうか。なんだか飲み下すのに苦労するのは。  だってこれって、間接キ―― 「やーっとたどり着いた!!」  棗の脳内で、その言葉がはっきりと形を結ぶ前に、若い女性の声が境内に響いた。  かと思うと、おのおのカラフルな折りたたみ傘をさした女性たちが数人、なだれ込んでくる。雨音もかき消す元気さだ。 「写真! 写真」 「あー、待って、暗いからフラッシュいるよね? どう? これでいける?」  この神社で指定されている撮影スポットは、花手水だ。手水舎の水盤に、赤やピンクを基調とした花が浮かんでいる。  子供の頃、ここでよく遊んでいた頃には、そんな飾り付けはされていなかった。それどころか節約で祭りの日以外は水も止められている。この催しのために整えられたのだろう。 「これでゴールの神社の花手水も撮って半分ずつ待ち受けにしたら、恋愛成就の御利益あるんだよね?」 「そうそう。急ごっ」  現れたときと同じ慌ただしさで去って行く彼女たちを見送りながら、棗は思い切り眉間に皺を刻んだ。 「恋愛成就……?」  この神社は確か、大昔に川の氾濫を治めるために龍神様が祀られたもの。恋愛に御利益があるなんて聞いたこともない。 「ここに書いてあるな」  壮真が取り出したロゲイニングのチラシ。千野が見せてきたものと同じだが、裏面のざっくりしたコース案内に、そこだけ大きくスペースをとって、この神社とゴールの神社――自分たちが通称「上の神社」と呼んでいる神社――両方の花手水を写真に撮ると云々、と書いてあった。  察するにこれも、ティラノサウルスレースと同様、地域に人を呼んで活性化するための新しい試みなんだろう。 「必死だ……」 「工夫するのはいいことだろ」 「まあね。人が来ないと、おばあちゃんの生きがいもなくなっちゃうし」  賑やかな彼女たちが去ると、境内はいっそう静けさが増す。  あれ?  ふと、思い当たった。 「ここで写真を撮って、上の神社がゴールで、また写真をってことは、おれたちも問答無用で――」  いやいやいや。これは地域活性化のためのでっちあげだから。なんの根拠もないことだから! 「千野たち、まだかな?」  ぐるぐるする自分の思考を断ち切るように、声に出してみた。棗の想定では「ああ」とか「見に行ってみるか」と、ごく普通の会話が続くはずだった。  それで、今感じているこの奇妙な居心地の悪さなんて、消えてしまうはずで――なのに、そうはならなかった。 「棗。おまえも俺が初恋って、本当か?」  ――雨はまだ降り続いている。なのに、その言葉だけははっきり聞こえてしまった。  静寂が痛い。  それは、棗を「考えろ」と責め立てるようだった。  ――初恋、といえばそう、なのかもしれないけど。でもそれはおれがあの子を女の子だと思っていたからで。  榊だからってことじゃない、よな?  仮に、榊だとわかっていたらどうだろう。  榊だと、知った今なら?  初めては睨まれて、なんだよと思った。でも、おれが困ってるといつも助けてくれて――半分こするって言ってくれて。  それは、すごく、嬉しかった。でも。 「……え、と、それは千野たちが面白がって話してるだけで」  どうにかそれだけを絞り出す。卑怯な言い方だと、我ながら思った。  でも、おれはまだ怖い。  自分の考えてることを全部真っ直ぐ人にぶつけるのが。  おれは、なんて意気地なしなんだろうーー  壮真は「そうか」とだけ呟いた。  傷つけただろうか。そんな心配をする権利はないのに、心配になってしまう。  おれはやっぱり意気地無しだ――  情けない気持ちで一杯になった棗の耳に、壮真の言葉が響いた。 「俺は冗談じゃないから」 「え――」  雨はまだ降り続けているはずなのに、その言葉ははっきり聞こえた。  真剣さを裏付けるように、壮真の眼差しは力強い。  それは、あのロッカーで見つめられたときのことを棗に思い起こさせた。  あと少しでも触れ合っていたら、なにか起きてしまいそうだった、あのときを。 「え、と……」  そう呟いたきり、言葉が出てこない。ただ壮真の視線にからめとられて逃れられない。    沈黙を破ったのは、 「おっまたせー」  という、千野の声だった。長谷部も一緒だ 「レインコート、うち妹のしかなくてさ……」  と彼が差し出すのは、ファンシーな水玉模様。長谷部は父親のものだというアウトドア用のカーキ色。サイズ的に棗が水玉を着ることは確定だ。 「ごめん」  申し訳なさそうにしている千野に、棗は「助かったよ」と心から告げた。
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