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やっぱり見間違いじゃないよな? 睨まれたよな?
疑問に包まれながら、午後の授業を受けた。その間ずっと、隣の席から視線の圧を感じた気がする。
なんで? なんでなの?
まあ、でも――
棗は目を伏せた。
人間なんて、ちょっと気に入らないというだけで、会ったこともない相手の誹謗中傷をSNSに書き込める生き物だ。きっと今回もその類いだろう。
取り敢えず、今日先生に言われた案内だけ終えれば、あとはお役御免だ。それまで堪えればいいだけだ。
拷問のような数時間が去り、ようやく放課後が訪れた。
千野と長谷部に着いてきてもらうことも一瞬考えたが、千野は深夜のなんとかチューバーの生配信に備えて早く帰って仮眠するのだと言い、長谷部はひとこと「部活」と言ってそれぞれに散っていった。
というわけで。
「えーと、ここがコミュニティルーム。グループ課題とかやるとき使うよ。あそこに見えるのは、工業科の実習棟。おれたちが行くことはほぼないけど」
棗は教師に言われた通り校内を一通り説明して歩いた。その間壮真は、むっつりと押し黙ったままだった。教室で野次馬根性丸出しにあれこれ質問されても、穏やかに応じていたのに、まるで別人のような態度だ。
――気まずい。
おれ、やっぱり自分で気づかないうちになんかしたのか――?
だめだ、と棗はかぶりを振る。一旦こういう考えに陥ると、呼吸が苦しくなる。
いっそ怒鳴られたほうがまだ気が楽だ、と思ったとき、壮真が口を開いた。
「青柳」
来た。
怒鳴られたほうが――などと思っていたが、いざ来られると緊張で体が強ばってしまう。
『いいよな、青柳は』
かつて投げつけられた言葉が脳内によみがえりそうになったとき、制服のスラックスのポケットでスマホが震えた。画面に表示されているのは祖母の名だ。
「ばあちゃん?」
なにかあったのだろうか。さっきまで感じていたものとは別の緊張で、心臓がきゅっとする。
慌てて応答ボタンをタップしながら、壮真の存在を思い出してふり返った。
「校内での通話は基本的には禁止なんだけど、ばあちゃん入力苦手だから、間に合わないときはかけてきちゃって。――」
「内緒にして欲しい」というジェスチャーでとっさに唇に人差し指をあてがう。それから、廊下の隅に寄った。
「え? 学校帰りに買い物?」
ひとまず、祖母の身になにかあった訳ではないようだ。
『ごめんねえ。お醤油切らしてたの忘れてて』
「ううん、全然大丈夫」
祖母はまだまだ現役の農家で、自分で軽トラを運転できる。とはいえ、一日働いたあとに、醤油一本のためにわざわざ車を出させたくない。
祖母は申し訳なさそうにしていたが、棗にとってはむしろ有り難かった。あのまま壮真と二人でいたら、気まずい空気を持て余していただろう。
これで用事が出来たって言えるし――と思いながら壮真のところに戻ると「あ、い
たいたー」と廊下の端から声がして、あっという間に囲まれてしまった。クラスの女子だ。
「ねえねえ榊君たち、このあとカラオケ行かない?」
「えっと」
一時間程度の寄り道なら、別に構わない。でも、すんなり帰れるだろうか。それ以上遅れると、家から一番近いスーパーは閉まってしまう。田舎の悲しみだ。
それにこれ、本命は榊だろうしなあ。
たち、とは声をかけられたものの、彼女たちの瞳には、壮真しか映っていない。
つまりは棗は体のいいダシ。見目のいい転校生一人を初日から誘うのは、あんまりにも下心が見え見えだから。
正直に言って断りたい。
でも、断れないのがおれなんだよな。
諦観と共に曖昧な笑みを顔に貼り付け「いいよ」まで口にしかけたときだった。
「ごめん。俺たち、このあと職員室に呼ばれてるから」
棗の言葉をさえぎったのは、さっきまでむすっと黙っていた壮真だった。棗に向けていた表情とは正反対の、にこやかな顔で。
「え~、そんなの、すぐ終わるでしょ?」
「ちょっとわからないな。――行こう、青柳」
壮真はあっさり彼女たちの相手を切り上げると、棗の手を取ってずんずん歩き出した。
「え、あ、うん?」
棗は半ば引きずられるようにして歩きながら、長身の背中を見上げる。
『俺たち、先生に呼ばれてるから』
なんでそんな嘘を?
ていうか、手。いきなり握られるとか――親しくもないのに。
壮真のほうでもそれに気がついたようだ。女子の姿が見えないところまで来ると、はっと我に返ったような顔をして、棗の手を放した。
無意識だったんだろうか。それでも、助けられたことは確かだ。
「あの、ありがと、助けて? くれて」
多分だけど、おれが困っているのを見かねて――だよな?
壮真の手は、その長身に似つかわしく、棗のものより大きかった。突飛な行動に面食らいはしたが、同時にその力強さに守られたような感覚があった。
が、壮真の返答はそっけない。そこにはもう、笑顔の片鱗もなかった。
「別に。へらへらしてたからムカついただけだ」
「へらへらなんか――」
いや、してたな。してた。自覚はある。
棗は静かにため息をついた。
「……おれ、断るの苦手で。ああいうとき、強く出られないんだ」
言葉にすると、我ながら情けなさがこみ上げてくる。棗はそれをへらっと苦笑でごまかした。きっとさっき彼女たちに対しても、同じ顔をしていたはずだ。
おれは、怖い。自分の、本当の気持ちを話すのが。
「駄目だな、おれ」
自嘲して面を上げると、壮真はまた、ひどく険しい顔でこちらを見ていた。
「おまえは――」
いったいなにがそんなに気に障ったのか、壮真は声に怒りを滲ませて、棗を壁際に追い詰めた。壮真の両腕の間に閉じ込められるような形だ。
整った顔立ちに鋭い眼光が加わると、妙に迫力がある。
――な、なになになになに!?
突然の苛立ちの意味がわからず、震え上がる。
そのとき、階段の上から高いトーンの話し声が響いてきた。女子生徒が数人やってくるようだ。
壮真もその声で我に返ったようだ。棗を追い詰めていた体を起すと、不機嫌そうに「帰る」とだけ告げると、くるりと踵を返した。
「な、なんだったんだ……」
呆然とその背を見送っていると、壮真が足を止めてふり返った。
――ヒイっ
聞こえちゃった?
震え上がる棗に、壮真はぼそりと告げる。
「――案内、ありがと」
「お、あ、う、うん……?」
なんだか怒ってんのに、お礼はちゃんと言うんだ。
訳がわからない――棗は力なく壁に背中を預け、ふう、と息を吐く。ぐったりする棗の前を、女子生徒たちが賑やかに話しながら通り過ぎていく。彼女たちの姿に紛れて、壮真の背中も見えなくなった。
軽く校内を案内しただけだというのに、ひどく消耗した。
――とにかくこれでお役御免だ。
明日からは、関わらないようにすればいいだろう。
「さ、買い物買い物」
自分を鼓舞するように口に出し、壁から背中を引き剥がす。苦役から解放された喜びで、心なしか体が軽い。
でも、と思う。
なんでおれ、あんなわけわかんない奴に、本当の気持ちをちょっと話しちゃったんだろう?
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