3.壮馬(2)

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3.壮馬(2)

****  翌朝、棗が登校すると、壮真のほうから声をかけてきた。 「おはよう、青柳」 「お、おはよ……う?」  イケメンの笑顔は眩しくて、背後で女子が息を呑んでいる気配がする。  が、棗にとっては昨日の今日だ。  ーー昨日はなんだか怒ってるぽかったのに、いったいどういう心境の変化??  疑問で頭を一杯にしているうちに、午前の授業は終わってしまった。 「じゃあ今日はここまで。日直、これ資料室に戻しといてくれ」  授業に使った折りたたみ式のスクリーンとプロジェクターを運べと言われて、日直のクラスメイトは不満げだ。 「えー、俺今日パン買いに行かないとなのに。――青柳、おまえいつも弁当だよな。代わりに運んどいて!」 「え、――」  突然指名されて面食らう。  声をかけてきた生徒とは、去年も同じクラスだった。どうも、棗が押しに弱いのを把握されてる節がある。  俺だって千野と長谷部を待たせてる――けど。 「うん」  結局引き受けてしまった。  断ることでもっと面倒なことに発展するくらいなら、これでいい。  自分にそう言い聞かせながら、スクリーンを収納バッグにしまう。筒状に収まったそれは、長さが二メートルほどあった。  ――これ片手で抱えて、もう片手でプロジェクターを……いけるかな?  ちょっと厳しい気がする。  考え込んでいると、壮真がさっと立ち上がってスクリーンを持ち上げた。 「え?」 「行くぞ」  急かされて、棗慌ててあとを追う。  長身の壮真にとっては、大きめのスクリーンを運ぶこともわけないことのようだった。脇目も振らずにずんずん進んでいく。資料室は教室の反対の棟の三階だ。ひとりだったら大変だったろう。  無事に資料室に機材をしまい、棗は頭を下げた。 「……あの、ありがと。すごく助かった」  どうして昨日と今日でこんなに態度が違うのかわからないが、取り敢えず礼を言う。  ――怖いのと、そこは別だから。  すると壮真は、表情を強ばらせ、訳のわからないことを口にした。 「どうしてボイスメモを押しておかなかった、俺……」 「え?」  問いただそうとしたとき、耳慣れた声が廊下に響いた。 「あー、いたいた、棗!」 「千野? 長谷部まで」 「遅いから探しに来たんだよ。棗のクラスの奴に訊いたら、転校生とどっか行ったって」  千野の声には棘がある。昨日、棗が壮真に睨まれたなどとうっかり口を滑らせたからだろう。  ――あと、背が高い奴嫌いだからな、千野は。 「手伝ってもらってたんだよ」となだめようとしたところで、壮真がずいと一歩前に出た。  鋭い視線が向かう先は長谷部だ。 「おまえ、昨日青柳の髪に触れてた奴だな」  ――は、髪? そんなことあったっけ? あ、昼?  桜の花びらを取ってくれたときのことを言っているのだろうか。だとしたら、やっぱりあのとき見られていたと感じたのは、気のせいではなかったということか。  でも、なんで? 「――」  あまりぺらぺら喋るたちではない長谷部が、眉根を思い切り寄せて不快感をあらわにする。  一色触発の空気に「おい!」と千野が割って入った。 「おまえ、なにが気に入らないのかしらないけど、棗につきまとうなよ! 迷惑なんだよ!」  つきまとうというほどつきまとわれているわけではないのだが、千野と長谷部は、棗に対して少し過保護なところがある。  壮真はじっと棗を見つめた。 「迷惑だったのか?」 「迷惑っていうか……ちょっと困っては、いる」  我ながら煮え切らない態度だとは思うが、それが正直な気持ちだった。  なにしろ壮真は目立つ。さっきだって、教室を出るとき「榊君、私も手伝うよ」と寄って来た女子がいた。棗にちらっと目配せを寄越しながら。  ああ、はい。ふたりにしろってことね――と棗は察したのに、壮真は「いや、青柳とふたりでいい」とあっさり断ってしまったのだ。そういうとき、恨めし気に睨まれるのはこっちだ。  壮真と一緒にいると、そういう目に遭う頻度が高くなる。きっと。  だから、困る。  壮真はしばらく無言でいたあと「そうか」とだけ呟くと踵を返した。  その日の午後は、一度も隣からの視線を感じなかった。  圧から解放されて、棗は安堵する。と、同時に、踵を返したときの壮真の顔がなぜか脳裏にちらついた。  話題騒然のイケメン。その気になればいつだって人気者になれるだろう。なにもわざわざ、おれみたいなのに構わなくても。  ――なのに、なんであんな淋しそうな顔するんだろう。 ****  それからというもの、壮真は棗に近づいてくることはなくなった。  ひりつくような視線も一切感じないまま一週間が過ぎ、土曜日。棗は祖母と共に町民グラウンドを訪れていた。  毎月第二・第四土曜に開催される町民祭りのマルシェに野菜の直売で参加する祖母を手伝うためにだ。  手早く野菜や漬物を並べながら、棗はあくびをかみ殺した。 「なっちゃん、またよく眠れんかっただけえ?」 「ううん。千野に勧められた動画遅くまで見ちゃっただけ」  棗は努めて明るくそう応じる。  久し振りに両親の夢を見たなんてことは、話さなくていい。心配させるだけだ。  夢の中で、自分は笑っていた。  天真爛漫で、なんの心配もない顔をして。  ――幸福な夢はつらい。目覚めたあとが。 「さ、今日も沢山売るぞー」  棗は、眠気をごまかすようにいつも以上にきびきびと立ち回って、準備を進めた。  実際、近くにできた道の駅から誘導してもらえるおかげで、年々このマルシェへの来場者も増えているのだ。ぼんやりとはしていられない。  ――それにしても、あの女の子の夢も久し振りに見たな。  棗の眠りはもう何年も断続的で、夢も一晩に何度も見る。両親との夢の終わりに、彼女も出てきたのだ。   神社のすぐ脇を流れる田圃用の用水路で、一緒に沢ガニを捕まえる夢だった。  今まで、彼女の夢を何回か見たことはある。  それもなんか恥ずかしい話だけど。でも、なんで今のタイミングで……? 「お隣、宜しくお願いします~」  お隣の出店スペースから溌剌と挨拶されて、棗は我に返った。  運び込まれる商品がちらっと視界に入る。マルシェには野菜以外も出展される。どうも今回は祖母の店がちょうど境目らしく、隣は雑貨の店のようだ。 「はい。よろしくお願いします――」  棗も愛想よく応じながら面を上げる。  挨拶してきたのは女性の声だったが、商品の詰まった段ボールを運び入れているのは男性――壮真だった。
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