【勝海舟・西郷隆盛】兵は拙速を尊ぶ

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【勝海舟・西郷隆盛】兵は拙速を尊ぶ

 勝海舟は軍艦を率いていた。夜も休むことなく、作業員を交代制にして。普通であれば、夜の航海は危険なのでしないであろう。しかし、今回は事情が違う。速攻が求められているのだ。速攻が必須とはいえ、座礁などで軍艦を失うわけにはいかない。なかなかに厳しい条件であった。勝海舟は「こんな無茶したと伊藤博文の耳に入ったら、怒られるかもな」と考えつつも部下に指示する。いや、むしろムンバイ攻略を通してインドを掌握すれば、「些細なことだ。よくやった」と褒められるかもしれない。どちらに転ぶとしても、インド攻略を完遂すればいいのだ。伊藤博文のことなど、あとでどうとでもなる。  軍艦がムンバイへ着くのに要した時間は、わずか2日だった。普通なら5日はかかるであろう。これを成しえたのは、やはり夜間の航海のおかげだろう。やはり、自分の考えは間違っていなかった、と勝海舟は思った。ここからの問題はいかにしてデリーまでたどり着くかだ。インドは広い。いくらデリーに近いムンバイに着いたとはいえ、西郷隆盛率いる陸軍が無事にデリーに着かなくてはここまでの頑張りが無駄になる。勝海舟は考えた。ここからは陸軍の問題とはいえ、大日本帝国という大きな視点で考えなければならない。陸海軍でいがみ合っていれば、勝てる戦争も勝てなくなる。やはり、陸軍大将の西郷隆盛と相談する必要があるだろう。勝海舟が思いもつかない作戦を思いつくかもしれない。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  西郷隆盛は勝海舟から相談を受けても、「これは手の打ちようがなく、正面突破するしかないのでは?」と考えていた。そうはいっても、正面突破では時間がかかるし、その間にイギリス側の援軍が到着するかもしれない。そうなれば、負ける未来が見えている。かなりの難問だ。待てよ。全軍が正面から戦う必要があるのだろうか。西郷隆盛は考えた。ここはインドの地理に多少は詳しい勝海舟に聞いて作戦を立てようと。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  勝海舟は西郷隆盛へインドの地理を教えた。北部は山脈が険しいこと。どこに河川があるか。そして、どこが主要都市かなどなど。西郷隆盛は「正面突破作戦は難しい」との考えだ。それは勝海舟も同意見だった。しかし、西郷隆盛へインドの地理を教えているうちに勝海舟は気づいた。インドの河川の一つにムンバイからインドの中央部まで伸びるものがあることを。そうか。これならどうだろうか。まず、河川に少数精鋭を乗せたボートを送り込む。河川は木々が覆っているから、気づかれる可能性は限りなく低い。正面部隊がイギリス軍を引きつけているうちに、精鋭部隊が横から奇襲するか、一気にデリーまで進むのもありだろう。西郷隆盛に提案すると「それでいこう」と意見がまとまった。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  西郷隆盛は少数精鋭を選ぶとボートに乗せた。この作戦がうまくいくかは、彼らにかかっている。西郷隆盛自身は正面から攻める軍の指揮をとることにした。そうでないと陸軍の士気に関わる。西郷隆盛は精鋭部隊にこう指示していた。「一気にデリーまで侵攻しろ」と。イギリス軍の横から奇襲したとして、その場の戦いには勝てるかもしれない。しかし、その後は別だ。同じ作戦は二度通じない。だからこそ、デリーまで一気に攻めることにしたのだ。  西郷隆盛率いる陸軍がイギリス軍と戦いを始めて数日後。西郷隆盛はデリーから煙があがっているのを目視した。これは、作戦がうまくいったようだ。これで、伊藤博文にいい報告ができる。  現在、大日本帝国が有する領土はアメリカ、メキシコ、インド、オーストラリアにインドネシアになった。では、イギリスはどうか。残るはアフリカ東部のみだ。西郷隆盛は思った。この勢いならイギリスを叩きのめし、同盟関係を裏切った復讐ができると。
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