黙示

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 麻未さんは、俺が所属していたサークルの先輩だ。決して騒がしいパリピ感満載のサークルではないにせよ、大学生などという生き物は、講義中にノートを取るか居眠りをこいている以外の時間など、遊び呆けているか家に引きこもるかのどちらかでしかない。俺のサークルには圧倒的に前者の方が多かった。つまりは飲み会とかそういうイベントが必然的に多くなるわけで、その中で俺と麻未さんはよく言葉を交わすようになった。  俺は外見が大いなる参考要素になるとしても、とりわけ歌のうまい女にめっぽう弱いのだけど、麻未さんは見事その条件にどちらも合致していた。カラオケに行くたびいつも麻未さんが歌う曲は、自然と自分も歌えるようになったし、それは麻未さんも同じようだった。政令指定都市とはいえこの街も地方都市のひとつでしかなくて、全国ツアーと銘打っておきながらこの街だけ除け者にされることも多かったものの、互いの好きなアーティストがやってくると俺たちは一緒にライブへ足を運び、声を上げたり腕を振り上げたり、時には泣いたりもした。  俺が三年生になる少し前、麻未さんは二足先くらいに大学を卒業していった。それきりしばらく連絡をとることもなかった。その二年後に俺も大学を出て、就職してからそれなりの月日が流れて、麻未さんが四年ほど前に結婚して既に子どもまで授かっていると知ったのは、SNS経由でやってきた麻未さんからのメッセージで知った。半歩ほど先を歩く麻未さんに、子どもさんは、と俺が訊くと「あー、旦那に任せてきた」とだけ返ってきた。  店は表通りから一本外れた雑居ビルのエレベーターを上がったところにあった。あてがわれた個室に通されると、既にテーブルの上には鍋とカセットコンロがセットされている。食べ飲み放題、というワードには社会人となった今でも心が躍る。いくら食っても飲んでも定額など、素晴らしいではないか。  俺たちは、かつてパケット通信料に怯えながらガラケーをいじっていた世代だ。使い放題の文化に慣れた現代の人類があの時代に戻った時、果たしてどれだけの人間が死に絶えることだろうか。そんなことを席に着いてから麻未さんに話すと「きみは本当に、相変わらず不思議な視点を持ってるよね」と苦笑された。  やがて運ばれてきた具材を鍋に叩き込んでいきながら、ジョッキをぶつけあった。喉の奥に黄金色の水が流れ落ちてゆく。理性や思考を要求される作業に関する本日の受付は、この瞬間に終了した。麻未さんも同じものを飲んでいるから、今日は本当に子どもの世話をするつもりはないのだろう。 「にしても、麻未さんにもう子どもまでいたなんて知りませんでした」 「まあ、結婚したのは四年前だけど、就職してすぐに付き合い始めてたからね。うちのはもう保育園児だよ」 「いいんですか、飲みに来ちゃって」 「いいの、いいの。それでいいことになってるから、ウチは」  グラスを傾けながら、麻未さんは口元だけで笑みをつくった。しかし、その笑みがさっきまでのものと少し違う意味を持っていることを、俺は本能的に察した。わずかな陰りをたたえたそれは、麻未さんがフタを開けた鍋の湯気の向こうに隠れていく。 「いいことになってる、って?」  不躾だと思いつつも、つい踏み込んでしまった。麻未さんは「うん」とだけ頷く。 「もう少し、飲んでから話すようなことだよ。……さ、まず食べよ」  おたまに手を伸ばそうとした麻未さんよりも先に、俺はそれを手に取った。やるようになったねぇ、と麻未さんはくすくすと笑う。俺は何も言わず、鍋の中身を皿によそいはじめた。
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