黙示

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「なにしてんだろね」  事が済み、狭い天井をぼんやり眺めていたら、俺の二の腕を枕代わりにしている麻未さんの声が聞こえてきた。唇が動くたびに、肌に直接息がかかって、こそばゆい。でも屈託なく笑えるようなシチュエーションでもなかった。窓の外の雷雨は少し落ち着いたようで、サアアア、という軽い音に変わっている。  数秒遅れて、俺はぼそぼそと呟いた。 「なにって、どう答えるのが正しいのか、わかんないんですけど」 「まあ、そうかもね。そこまで下半身に縛られてなさそうだし。きみは」  麻未さんはけらけらと茶化すように笑っていたが、長く続くことはなくて、俺と彼女のあいだは、すぐにまた海の底のように静かになった。途中で常夜灯すら消した部屋の中は、さっきまで観ていたDVDのメニュー画面が表示されたままの、テレビの明かりだけが照らしていた。 「でも、たぶん、同じ立場に置かれたら俺も同じことをしたと思います」 「うん。きみならそう言うだろうなと思ってた」 「なら、俺がいま何を考えてるか、当ててみてください」  数刻、また沈黙が訪れる。それはほんのわずかな時間にも、果てがないような長い時間にも思えた。やがて、かろうじて雨の音にかき消されないで聞こえてきたのは「……ごめん」という麻未さんの一言だった。 「いいですよ。そんなときだってあると思うから。麻未さんの気持ち、全部わかることなんかできなくても、他に何かできることがあると思ったから、そうしただけです。踏んじゃいけない床だとわかってても、今だけは勢いよく踏み抜くべきだと思っただけです」  麻未さんは黙ったまま、なにも答えなかった。    あともう少しで空が明るくなりはじめる頃、降り続いていた雨が急に止んだタイミングで、麻未さんは帰っていった。どうやって帰るのか訊くと「大人になったら、タクシーって便利なものがあんのよ」と、微笑みながら返してきた。きのう俺の身体の上で泣いていたとは思えないような表情で出ていった彼女は、道路に面した俺の部屋の窓に向かって、一度だけ手を振ってから、タクシーに乗り込んでいった。  もしもこの先、何かが動いてしまったら、麻未さんは夫に「今日、違う男を抱いてくる」と言い残して出てくるようになるのだろうか。  雨上がりの空が徐々に白んでくるのと対照的に、胸の奥は昨日の雷雨のように荒れ始める。この家を出てゆくとき、彼女が言っていた「またね」が、急に現実味を帯びてきた。  いつか脳天を突き抜けてゆく稲妻の存在を、否が応でも感じざるを得ない。ただの興味本位で、台風の日に川の様子を見に行って溺れ死ぬ奴も、もしかするとこんな感じで命を落とすのではないか。  だめだ。俺にはまだ稲妻どころか、雨でさえ、だまって受け止める覚悟がない。  窓の外の、タクシーのテールランプが遠ざかってゆく。  俺は枕元に放ってあったスマホを取り上げると、麻未さんの連絡先をブロックリストへ登録した。 /*end*/
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