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食事は、せっかく神保町に来たのだからとカレー店にし、俺はチキンカレー、ヒロはビーフカレーの大盛りを頼んだ。
さすがに若い。
「お店の中がもう、おいしい匂いがする」
ヒロは待ち切れなさそうにそわそわしている。
俺は水を一口飲んで、スマホを眺めながら口を開いた。
「俺、さっきの店、本当は教えたくなかったんだ」
ヒロは何度か瞬きしたが、何も言わずに続きを待った。
神保町に来るときは、いつも立ち寄る店なのに、今日は来ようとすら思わなかった。
ヒロは、メッセージのやりとりをしている頃からたくさん好意を示してくれていて、俺はそれを口説くための練習なのだと思っていた。
二十歳の若者のそんな言葉をいちいち真に受けても仕方がないと思っていた。
スマホを伏せてテーブルに置き、そっと口に出す。
「大好きな店なんだ」
俺は、本当は、ヒロに会うのは今日が最初で最後だろうと思っていた。
若者の練習台に、そう何度も付き合っていられないとも思った。
だから、あちこち歩き回ってばかりの、興味がなければ辛いだけのデートコースにして、ヒロに呆れられたかった。
「俺、クローゼットだからか、
もともとそういう質なのか自分でもわかんねえけど、
好きなもの隠すの癖になってるんだよな」
ヒロは静かに聞いていた。
二人分のカレーがテーブルに乗せられる。
「喰うか」
話していたことが恥ずかしくなって、ヒロを促す。
ヒロは素直にスプーンをとった。
「うん。食べながら、聞かせて」
俺はスプーンを握って、まるい鏡面に映る自分の歪んだ顔を見てから、一口カレーを食べた。
「……いつもは、決まった店の、ほとんど決まった棚見て、
それで帰ってたんだ。
今日は、知らないところに来たみたいだった。
すごく楽しかった。ありがとな」
誤魔化すようにまたカレーを頬張る。肉がほろほろして、さらっとしている。
ここのカレーを食べると、俺はいつも、元気が出る。
「あそこの二階、ずっとのぼりたかったんだ。
一緒に来なかったら、多分ずっと上らないままだった。
だから……お礼じゃないけど、
ヒロにも俺の好きな店教えたくなった」
話しているうちに、なんだかすごく重たいことを言ってしまった気がして、俺は俯いてカレーを頬張った。
ヒロは大盛りのカレーを、既に三分の一くらい胃に収めていた。
「俺もあの吹き抜けのぼりたかった」
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