神保町

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 俺の地元は保守的な田舎で、その保守性と金銭的な事情のために、地元の国公立大学に進学した。  近所の家の事情なら、三代前まで遡って把握し合っているような本当の田舎で、俺は自分がゲイであることを隠して生きてきた。  そんな人ばかりじゃないだろうが、あの場所では俺にとって大切な特性が、暇つぶしの情報として食い荒らされてしまいそうで、俺はとても怖かった。  二十歳を超えた頃、なんの前触れもきっかけもなく、俺は大学で一度過呼吸を起こした。  そのことで、ああ、俺はもう限界なのだなと気がついて、卒業とともに地元を離れて、それからは東京で生きている。  はじめこそものすごく緊張したが、出会い目的のバーに行けば一夜の相手はすぐに見つかる。  色々な人と出会い、触れ合い、別れという言葉が大仰なほど当たり前に、翌朝には離れた。  触れ合いや交わした会話を恋に育てようと思ったことすらなく、ただ自分が自分のままでいてもよいのだという実感のために、俺は誰かとセックスしていた気がする。  年とともに、声をかけられる回数がなんとなく減って、声をかけてもかわされる回数が、やはりなんとなく増えた。  俺自身、若い頃ほどセックスをしたいと思わなくなり、体の関係が億劫になってもいた。  それなのに、寂しい気持ちは少しも目減りしてくれないから、一度、誰かとまともに付き合ってみたいと思ったけれど、恋の仕方など俺は何も知らなかったのだ。  温くなったカフェオレを飲んでいると、仕事のメールアドレスにライターさんから返信が来ていた。  俺はスマホを狭いテーブルに伏せ、添付された原稿のファイルを開く。  そのときは、本当にそのアプリで誰かと知り合うなんて思っていなかった。
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