神保町

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   *****  昔のことを考えていたら、すれ違う人に気づかなかった。  ぶつかる前に、ヒロが俺の腰を引き寄せた。 「ごめん、ありがと」  細身なのに、思っていたよりもずっと力強くて、俺は少し驚いた。  そっと俺の腰からヒロの腕が外れる。 「ううん、ぶつからなくてよかった。大丈夫?」  ヒロが俺の顔をのぞき込むようにしていて、俺は頷いた。  ヒロは何かに気付いたように照れて、小声になった。 「ごめん、腰ぎゅってしちゃった」 「いや、 アプリ始めたときのこと思い出して前見てなかったから、助かった。 ……不思議だよな、 普通に暮らしてたら絶対関わらない相手と、こんな風に会うの」  ヒロはちょっと上を向いて考え込むと、嬉しそうに笑った。 「でも、普通にしてたら会えない人とデートしてるのって、 逆に運命的じゃない?」  俺が何も答えられずにいると、また赤くなった。 「俺今恥ずかしいこと言ったね?」 「いや、そんなことは」  なんとかそう答えたが、ヒロは恥ずかしさを誤魔化すように顔をしかめた。 「ごめん、流して。俺今日ハヤミさんに会えて本当に浮かれてる」  ヒロはずっと、俺と会えて嬉しいと、たくさん言葉や態度で示している。 「俺ね、なんとなくネットの知り合いに会うのとか怖くて、 二十歳になって初めてお酒飲んだときに、 勢いであのアプリ始めたんだ。 俺もちゃんと恋愛したくて、そういう人探してたから、 ハヤミさんのプロフ見て嬉しくなっちゃった。 あと写真もかっこよかったし、俺も本とか料理好きだし、 毎日ちょっとずつやりとりするのも楽しくて」  俺は頷いた。 「確か、三月末だったよな。 そっから一ヶ月半くらい、やりとりしてたのか」 「うん、ほとんど毎日」  料理や風景、日常の何気ない写真や、お互いの情報を少しずつ送り合った。  ヒロは都内出身の大学三年生で、恋愛経験はないらしい。  実家暮らしで両親にカミングアウトが済んでいて、大学でも信頼できる友人には打ち明けていると言っていた。  大学二年の夏から始めたバイトは個人経営の沖縄料理店で、まかないを作るうちに家でも料理をするようになったらしい。 「俺普段は現金より電子マネー派なんだけど、 今日は古本屋さんに行くからお金下ろしてきた」 「電子マネー使えるところも普通にあるぞ」  ヒロははっとしてからちょっと笑った。 「そっか、古い本売ってるだけで、お店全体が古いわけじゃないもんね」  俺もつられて笑う。 「なんだその勘違い、わからんでもないけど」  短い言葉のやりとりやプロフィールで知っていた、文字や写真だったヒロが、目の前で動いて喋ってる。  そして、ヒロが俺に会う前に送ってきた言葉が、もう一つあった。
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