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昔のことを考えていたら、すれ違う人に気づかなかった。
ぶつかる前に、ヒロが俺の腰を引き寄せた。
「ごめん、ありがと」
細身なのに、思っていたよりもずっと力強くて、俺は少し驚いた。
そっと俺の腰からヒロの腕が外れる。
「ううん、ぶつからなくてよかった。大丈夫?」
ヒロが俺の顔をのぞき込むようにしていて、俺は頷いた。
ヒロは何かに気付いたように照れて、小声になった。
「ごめん、腰ぎゅってしちゃった」
「いや、
アプリ始めたときのこと思い出して前見てなかったから、助かった。
……不思議だよな、
普通に暮らしてたら絶対関わらない相手と、こんな風に会うの」
ヒロはちょっと上を向いて考え込むと、嬉しそうに笑った。
「でも、普通にしてたら会えない人とデートしてるのって、
逆に運命的じゃない?」
俺が何も答えられずにいると、また赤くなった。
「俺今恥ずかしいこと言ったね?」
「いや、そんなことは」
なんとかそう答えたが、ヒロは恥ずかしさを誤魔化すように顔をしかめた。
「ごめん、流して。俺今日ハヤミさんに会えて本当に浮かれてる」
ヒロはずっと、俺と会えて嬉しいと、たくさん言葉や態度で示している。
「俺ね、なんとなくネットの知り合いに会うのとか怖くて、
二十歳になって初めてお酒飲んだときに、
勢いであのアプリ始めたんだ。
俺もちゃんと恋愛したくて、そういう人探してたから、
ハヤミさんのプロフ見て嬉しくなっちゃった。
あと写真もかっこよかったし、俺も本とか料理好きだし、
毎日ちょっとずつやりとりするのも楽しくて」
俺は頷いた。
「確か、三月末だったよな。
そっから一ヶ月半くらい、やりとりしてたのか」
「うん、ほとんど毎日」
料理や風景、日常の何気ない写真や、お互いの情報を少しずつ送り合った。
ヒロは都内出身の大学三年生で、恋愛経験はないらしい。
実家暮らしで両親にカミングアウトが済んでいて、大学でも信頼できる友人には打ち明けていると言っていた。
大学二年の夏から始めたバイトは個人経営の沖縄料理店で、まかないを作るうちに家でも料理をするようになったらしい。
「俺普段は現金より電子マネー派なんだけど、
今日は古本屋さんに行くからお金下ろしてきた」
「電子マネー使えるところも普通にあるぞ」
ヒロははっとしてからちょっと笑った。
「そっか、古い本売ってるだけで、お店全体が古いわけじゃないもんね」
俺もつられて笑う。
「なんだその勘違い、わからんでもないけど」
短い言葉のやりとりやプロフィールで知っていた、文字や写真だったヒロが、目の前で動いて喋ってる。
そして、ヒロが俺に会う前に送ってきた言葉が、もう一つあった。
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