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「先生、次の患者さん入れますね」
「はい、どうぞ」
机に広げたファイルを閉じて、それを背後に居た看護師に渡すと、俺は顎へとずらしていたマスクを口元に引き上げた。静かなノックの後に、スライドドアから現れたのは顔見知りの親子だった。
「美空ちゃん、こんにちは」
まだ四つになったばかりの、ふっくらとした丸い頬を持った少女は、消え入りそうな声で「こんにちわぁ」と、母親の脚の後ろへと隠れながら、診察室へと入って来た。照れ屋な少女は、母親に結って貰っただろうツインテールの柔らかい髪を揺らしながら、母親に抱えられ、小さな丸椅子に座らされる。
「可愛い髪飾りだね」
つるりとした髪を留めるピンク色のリボンと小さな兎のマスコットが付いたそれを褒めると、美空ちゃんは「ママが買ってくれたの」とそれを小さな短い指先でそれを弄った。
俺は「良かったね」と頷いてから、彼女の母親へと顔を上げた。
「元気そうで良かった。普段気になる事はありますか?」
強張っていた表情が、微かに解けると、母親はゆっくりと首を横に振った。まだ年の若い二十代前半だろう彼女は、青い不安を目元にわずかに残しながら首を横に振る。
「いえ、普段は元気に過ごしています。元々静かに遊ぶのが好きな子ですし、最近は特に症状もなく過ごしてます」
「それなら良かった」
美空ちゃんは兼ねてより気管支喘息の疑いがあった子だ。三歳くらいまでの乳児期では、元々気管支が狭いので、判断が難しかったが、親子で経過観察と治療に根気よく向き合ってくれたおかげで、症状もだいぶ落ち着いている。――が、親は落ち着いてはいても、またいつぶり返し、娘が苦しい思いをしないか、不安なのだろう。ましてや、彼女も若く、そして一人目という事もある。
彼女の下がった目線の先にいる美空ちゃんは、ここに居る事の意味をあまり理解していないような素振りで、脚を揺らしていた。
「ねえ、美空ちゃん。さっきお胸のお写真撮ったけど、ちゃんと良い子にできたんだね」
「うん」
看護師の用意してくれたレントゲンをパソコンに表示して、母親に異常がない事を告げると、彼女の表情に、幾分ではあるが、ようやく笑みが浮かぶ。きっとこの定期検診は、彼女の気力を強く辟易させるのだろう。我が子の無事は何にも代えがたいものだ。
「大丈夫ですよ、美空ちゃんもお母さんも頑張ってますし。早めの治療は長い目で見て、後からはっきりと成果の出るものですから」
「はい、ありがとうございます」
短い診察を終えると、美空ちゃんは小さな手を振って、部屋を出て行った。
「先生、次の患者さん入れますね」
診察ファイルを閉じると、間髪入れずに言われて、俺は「はーい」と返事をしながら、美空ちゃんの診察ファイルを背後へと回した。
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