Dinner

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 金曜日の夜から、仕込みを始めた。  メニューはビーフシチューと決めている。理由は特にないけれど、誰かと何かを一緒に食べるならば、一番無難なメニューな気がしたからだ。手軽と言う訳でもないし、かしこまり過ぎているわけでもない、丁度良い小奇麗な料理に見えた。 トマトピュレ、野菜ピュレ、それから肉のうまみが凝縮されたブイヨンと、ブラウンルウを作り、全てを混ぜ合わせ、煮詰めていく。沸いてきた野菜の灰汁を取り除き、冷めてから蓋をして冷蔵庫へと入れる頃には、既に時刻は深夜の二時半を過ぎていた。 本来なら一日寝かせるべきなのだろうけれど、どうしても時間が足りない。本来なら昨日の夜からしっかりと仕込みをしたかったが、今週は患者数が多く、家に帰り着く頃には体力は殆ど残らない状態が続いていた。 ぱたりと冷蔵庫を閉じると、見計らったように身体の内側から、じわりと疲労がにじみ出てくる。エプロンを外そうとして、シンクの中に転がっている料理器具を見つけて気怠い指を止めた。 一瞬どうしようかと迷ってから、リビングに向かい、ソファーに身体を預けるように横たわる。 ポケットからスマホを取り出し、音楽を掛けると、ビリー・ジョエルのキャピタル・ジャックが静かに流れ始めた。  もういいや、明日にしよう。水には浸けてあるのだし。  そう甘い判断を下して、降りて来た瞼を抵抗する事なく受け入れる。音楽を止めると、深夜の深い静寂が涼しい音のない音を立てる。  美味しいと、言ってくれるだろうか。  そんな事をぽつりと考えながら、俺は深く息を吸って、ゆっくり長く、丁寧に息を吐き出した。  瞼の裏側に、手を重ねた時に見た、なぎさの丸い瞳が呼び起こされる。驚いたような、信じられないような、小学生のような眼差し。そんな風に驚いて、美味そうだとか美味いとか、言ってくれるだろうか。  考えるだけで、何となく胸の裏側の辺りがじんわりと熱を持つ。 早く眠って、明日にしよう。 俺は指の間からソファにスマホを滑り落とすと、腹の上に掌を置いて力を抜いた。
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