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彼女は雨が好きだ。
僕と一緒に部屋で寛いでいても、雨の音が聞こえてくると、嬉しそうに外に飛び出してゆく。そして、軒下のベンチに座りながら、雨が降る様子をジッと眺めている。
「奈々ちゃん、雨見てるの?」
僕の呼び掛けに、彼女は返事をしない。いつものことだ。僕はそっと彼女の隣に座り、一緒に雨を眺めている。
「最近、仕事で失敗してさー。部長に怒られたんだよね」
「……」
「この仕事、俺に向いてないのかな? って思うんだけど、奈々ちゃんはどう思う?」
「……」
僕の言葉に、彼女は一切反応しない。これもいつものことだ。僕はそんな彼女の横顔を見つめながら、構わず喋り続ける。
「奈々ちゃん、雨見てると何か落ち着くね。心が洗われるような気がするよ」
「……」
「奈々ちゃんも、雨を見てると落ち着くの?」
「……」
彼女は、僕のどんな言葉よりも雨が大事なようだ。ほんの少しだけ、雨に嫉妬してしまいそうになるけれど、こんな心穏やかな時間を作り出してくれているのは、紛れもなく雨だ。彼女の影響で、僕は雨が好きになった。
梅雨の季節は、こうして彼女と落ち着いた時間を過ごすことが多い。同棲を初めて三年になるけれど、毎年、この季節は他の季節よりも少しだけ、時間の経過がゆっくりに感じる。
雨足が弱まる。彼女が少し体を揺らしながら、ソワソワしている。
「雨、そろそろ止むかもね?」
僕の言葉に、初めて彼女が反応した。こちらを一瞬だけジッと見つめてきた。心なしか、少しだけ不機嫌そうにも見えた。
「奈々ちゃん怒った? 大丈夫だよ。明日も天気予報は雨だからさ」
「……」
どうやら少し怒ったようで、今度は僕の言葉に反応してくれない。
「ずっとここにいたら体が湿気っちゃうよ?」
「……」
僕は彼女の体調を気遣った。ほんのちょっとしたことで、お腹を下したり食欲をなくしたり繊細な子だから。
間もなく雨が止み、雲の隙間から太陽が顔をのぞかせていた。彼女は雨の余韻に浸っているようで、その場から動こうとしない。辺りには、水と植物が混ざったような独特の香りが、仄かに漂っている。
彼女がほんの少し、鼻を小刻みに動かしている。僕よりもずっと鼻が利く彼女のことだから、きっとこの雨上がり特有の香りを、堪能しているのだろう。
しばらくすると、彼女がその場で体を伸ばし始めた。ジッと座っていたから、体の凝りを実感していたのだろう。
彼女に倣って、僕もその場で体を大きく伸ばした。体の至る場所から鳴るポキポキという音が、僕自身の体の凝りを証明していた。
満足したのか、彼女が再び僕の方を見た。そして一言「ニャー」と鳴くと、僕の太腿を踏み越えながら、部屋へと戻っていった。
雨上がり、彼女はいつも嬉しそうに鳴いている。こんな幸せな日々が、いつまでも続きますように。
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