肆書:邪獣襲来

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05:重複する監視 丸一日、寝て過ごしても怒られない。 花魁道中の疲れが出たのだろうと配慮されて、久しぶりにゆっくりと過ごした翌日。 起きた時から曇天で、今にも雨が降り出しそうな空模様にアザミは「はぁ」と憂鬱な息を吐き出す。憂鬱な息は天気に対してではない。ニガナが起きてくるまで静かな時間を過ごそうと思っていたのに、なぜか部屋にいる一人の女のせい。 「あら、まだ元気そうね」 「…………メイリン」 「ジン陛下は、次はいついらっしゃるのかしら。それまでに、体力を回復された方が良さそうよ」 時刻は正午を少し回ったころ。帝都の人々は深い眠りにつき、起きる気配はない。それは黄宝館も同じこと。アザミも本来、目が覚める時間ではないのだが、ヒスイとアベニの薬湯効果に加え、昨日の怠惰な生活で昼夜逆転してしまった。 ジンたちは一昨日以来会っていない。少し寂しさを感じながらも、一人の時間を満喫しようと思っていたら、これだ。 「次にいつ来るのか」それはこちらが知りたい。 「入室を許可した覚えはありんせん。それと、その口調が許されるのは対等な間柄だけ。黄宝館に来たからには、最低限の礼儀作法を学ぶよう言われたでありんしょう?」 「苦手なの。妓楼の言葉って、独特でいかにもって感じでしょう。アザミ様も普通に話してくださいな。その方が親密感が増して過ごしやすいと思いますわ」 頭痛を覚えるのは仕方がない。 第壱帝国は、朝に起きて昼に活動する者が多いという。メイリンがこの時刻に元気なのはそのせいだとわかっていても、勝手に部屋に入ってこられればいい気はしない。 さらに、話せば話すほど相容れない存在であることが明白になっていく。 完全にキライになってしまう前に距離を置こうと、アザミは語気を荒げた。 「親密になる気はありんせん。今すぐわっちの部屋から出て行きなんし」 「怖い声を出さなくてもいいじゃない。せっかく食事を準備させたのよ。昨日も眠ってばかりで、いい加減、お腹がすいたのではなくて?」 そう言われて思い出したのか、反論しようとした口の代わりにアザミのお腹がぐぅと鳴る。 言い訳のしようもない。目の前に運ばれてくる食事を見れば、空腹は盛り上がってくる。 「いつもと器が違うわ」 「花魁に出す器ですもの。最高級品の食器をご用意しました」 善意なのか悪意なのか、わからないところが読めなくて警戒心が募る。銀食器。それが意味する理由に気づかないほど馬鹿ではない。 「毒を盛っていないとわかっていただくためにも、わたくしの出す食事はこちらの方がよろしいかと」 うやうやしく頭を下げて、それから微笑む。黄宝館に采配されるだけあって、見た目は美しい。初対面の印象が最悪すぎて見過ごされがちだが、意外と所作が綺麗なことに気付いて、アザミはぐっと口を閉ざした。 「おっ、うまそうなもん食ってんな」 パリっと音がして、瞬間、アザミの隣に白銀の髪が躍る。 アザミも驚いたが、メイリンはもっと驚いたのだろう「ひっ」と息をのんで、床にひれ伏す勢いで頭を下げた。 「イルハ様」 「てめぇに名前を呼ぶことは許してねぇ。邪魔だ、下がれ」 冷たくにらまれて、メイリンは部屋を飛び出していく。どうも四獣を前にすると萎縮してしまうらしい。第弐本帝国と違い、メイリンの出身国は四獣信仰があるせいだろう。 神聖な存在だとでも思っているのか、青ざめた顔で部屋を飛び出していくメイリンに、アザミは内心ホッとして、イルハの方へと重心を寄せた。 「ありがとう、イルハ」 「何もしてねぇ」 ふんっと鼻をならして、イルハは小さな食器に盛られた煮物を指でつまむ。そのまま口に含むと、もぐもぐと咀嚼して「毒はねぇな」とうなずいていた。 「おいしい?」 「普通じゃねぇの?」 愛想がないように見えて、意外と面倒見がいい。取り繕ったりせずに、いつも素でいてくれるから警戒心も薄れていく。 「イルハが来てくれてよかった」 そう思っていたら、目の前に冷気が漂って、瞬間、黒い髪が揺れていた。 「アザミ」 ぎゅっと抱きしめられて戸惑うのも無理はない。 イルハに半分寄せていた身体を引き起こされるだけでなく、流れるように抱きしめられれば、目をぱちぱちとする他ない。気のせいじゃなければ、匂いをかがれている。 それも、深呼吸する勢いでコウラに吸われている。 「コウラ様?」 戸惑い気味に腕を回してみれば、コウラは自分の首元を緩めて、アザミの顔をそこに押し付けた。 「んぶっ……ふぁに、ふる……ぅ」 「つけろ」 「ん、ん?」 後頭部に手を回されて、耳元で命令される。 たった三文字。 何をつければいいのかは、唇の触れるコウラの鎖骨が教えてくれる。 「んむ、ぅ……っ」 必死に吸い付いて、赤い痕をコウラの肌に残す。どれほど強く吸えばいいのか、突然すぎてよくわからなかったが、アザミの吸い付きが弱くなったところでコウラは自然と解放してくれた。 「俺以外の男が先とか、気が狂う。やめてくれ」 「大袈裟でありんす」 「本気で言っているのであれば……なんだ、イルハ。いたのか」 そのままアザミを押し倒そうとしたコウラが、イルハの存在を認識して、むっとした顔で停止している。 「おっさん、アザミの前で豹変しすぎだろ」 二十二歳のイルハからしてみれば、三十歳のコウラはおじさんの部類に入るのか。二十四歳のアザミも間接的になぜか突き刺さるものを感じて、きゅっと唇を噛みしめる。 黄宝館では十八歳から二十八歳までの年季奉公が一般的で、その間に身請けされて出ていく妓女も多い。花魁は特例とはいえ、年齢的に見れば、アザミも年長者の部類であることに変わりない。 あまり考えないようにしていたが、先代の花魁は四十二歳まで妓女だった。自分もあと五年もすれば「おばさん」と呼ばれるようになるのかと、妙な実感がわいてきて胸が苦しい。 「仕事の顔と普段の顔を使い分けることの何が悪い」 「その二重人格、意味あんのか?」 「稚児には理解できなくて当然だ」 今度は六歳前後の子ども扱いされたイルハに、アザミの心臓もキュッと縮まる。 コウラから見れば、お子様の部類に入るのか。そういえば、黒珠館の香妃であるラミアは年齢がひとつしか違わなかったのに、妖艶で綺麗だったことを思い返して、アザミは豊満とは言えない貧相な胸に両手をあてた。 「それより、アザミ。オレにもつけろよ」 「……え?」 コウラとイルハに挟まれた場所で、不自然に胸に手を当てていたアザミは、何をつけるのかと首をかしげて思考を戻した。豪快にゆるんだイルハの首元。ああ、あれかと察したアザミはコウラの腕の中からイルハの方に移動して、そこにちゅっと唇を押し付ける。 「ンで、何気にしてんだよ」 「……ん、ぅ?」 「さっき、胸に手をあてて何か考えてただろ?」 アゴに手を添えられて視線を固定されると避けようがない。 銀灰に光る双眸が綺麗で、すべて見透かされそうな気配にごくりと喉がなって、アザミは泳ぎそうになる視線を頑張って維持させる。 「アザミ、起きたのなら食事を先に取れ」 コウラにうながされて、というより、横から伸びてきたコウラの腕に無理矢理、移動させられる。イルハとコウラに挟まれてする食事。正しくは、コウラに食べさせられるのをイルハに観察される時間ともいえた。
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