壱書:黄宝館の金鶏

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(Side:イルハ)積年の思い オレは数多ある遊郭に、服を卸す呉服屋の嫡男として生まれた。俗にいう華族のひとつ、華粧家の跡取りとして期待されたオレだったが、二歳のときに天女の加護を受けて白虎王となったのだから仕方がない。それから二十年。実家は一番上の姉貴が婿養子を迎える形で引き継いでいる。 「ちょっと、イルハ。あんた何よ、その恰好」 「いちいちうるせぇ」 「花魁の監視が急遽無くなった~とか言って出ていったと思ったら、久しぶりに帰ってきて、それ。血だらけじゃないの」 「オレの血じゃねぇよ」 「んなこと心配してないわよ。あーあー、邪獣の血は落ちないんだから、高級反物の服で退治してくんなって言ってるじゃない」 ひとこと、うるさい。 オレには姉貴が三人いて、いつも甲高い声が頭上を渦巻く環境で生きてきた。口を開けば説教、愚痴、意味不明な八つ当たり。女三人が続いたあとの待望の一人息子が白虎王に選ばれて、複雑な心境をにじませる両親とは折り合いが悪く、オレは姉貴たちと過ごす時間が長かった。 「服なんか腐るほどあるだろうが」 「お姉さまに対して、その口調。可愛くないわね」 可愛くてたまるか。 そう言い返したくても、言い返せば何倍になって返ってくるかわからない。邪獣よりも厄介な相手、それが女。特に年上の女は「苦手」以外の感情がわかない。 「なになに、店の入り口で何の騒ぎ?」 「あー、イルハ。また邪獣退治で血まみれじゃん。ほんっと、あんた戦うの好きねぇ」 ひとりが騒げば、必然的にひとり、またひとりと数が増える。 女は群れて獲物を囲うもの。過保護、世話好き。そういう風に受け止めれば幾分か落ち着きを取り戻せるのかもしれないが、四六時中、四方八方から騒ぐ鳥の声を聞いていれば平常心なんてすぐにどこかへ行ってしまう。 「うっせぇよ。オレのすることにいちいち口挟んでくんな」 「はぁあぁあ?」 「こら、イルハ。あんたのその口の利き方、何よそれ」 「白虎王とか雷帝とかもてはやされてるかもしれないけど、そんなんじゃ花魁に袖にされても知らないよ」 「いや、袖にされたから監視を一回下げられたんでしょ」 「だっさ。それで邪獣退治って、ガキかよ」 何を口にしても、しなくても、常に三倍で返ってくる。 どこへ行ってもそう。麒麟の西部に位置する白虎領には、高級遊郭のひとつである白珠館があり、実家の古くからの馴染みでもある。四獣として遊郭を見回るのも仕事のひとつだが、オレは正直、行きたくねぇ。 家柄や権力に目をくらませる女たちに群がられ、昔からいい思いがひとつもない。 その点、邪獣退治はいい。 喧嘩や訓練もキライじゃないが、わずらわしさがない単純な事実は心に平穏を連れてくる。 「そういえば、花魁で思い出したけど、ジン陛下が即位されて二十年、節目の年だってことで、他の四獣様も気合入ってるそうじゃないの」 「あたしも聞いた、聞いた。ヒスイ様は昔から珍しい本を献上されてたって話だけど、コウラ様が蝋梅のかんざしを贈ったものだから、沈丁花の櫛(くし)を贈ったそうよ」 「そうそう。それに、アベニ様はクチナシの香を贈ったとかで、遊郭は今、かんざしや櫛、香がもっぱらよく売れるんですって」 女の噂好きには、毎度感心するくらいに反吐が出る。 アザミが誰に何をもらったのか、オレが気にしてると思うのか。 コウラがかんざしを贈ろうと、ヒスイがクシを贈ろうと、知ったこっちゃない。アベニがクチナシの香を贈ったところで、オレに何か関係があるのか。 ないだろう。 アザミがどこの誰とどうなろうと、オレには関係ない。 「チッ」 舌打ちで話題が不快だと示しても、それで口数の減る姉貴たちではない。 いや、女はオレが嫌がる態度をするとますます図にのることがある。「可愛い」だの口にすればまだいい方で、こそこそと耳打ちするような笑みは意味が不明だ。 「イルハ。あんたもアザミ様に何か贈りたいんでしょ?」 「んなわけあるか」 「負けてらんないもんねぇ。初恋のアザミ様をとられたらヤダもんね?」 「だから、ちげぇっつってんだろ!!」 毎日、妓女のために仕立てた服を届けに足を運ぶからか、姉貴たちは取引先の遊郭で仕入れた情報を常に嬉々として語っている。どこの誰が、誰に惚れているのだとか。足抜け、身請けなどの恋愛沙汰には敏感で、そしてそれはオレにとって最悪の展開でしかない。 「そんなわけで、イルハ。用意したわよ」 「ちょうどさっき届いたところなの」 「花魁に持っていきなさい」 三人そろって満面の笑みを浮かべる時ほど、よくないことが起こるとオレは知っている。 案の定、差し出されたのは金木犀が全面にあしらわれた着物で、誰がどこからどうみても「白虎王は花魁を愛している」といっているように思える代物。 白地に金色の刺繍。 たしかに、アザミに似合うと思う。着た姿を想像しても悪くない。が、オレは渡したくない。こんなものを渡せば、オレが、アザミに惚れていると思われてしまう。 冗談じゃない。勘弁してくれ。 「何度も言ってるが、オレは花魁に興味はない」 年上の女など、絶対ごめんだ。 たしかに、アザミは姉貴たちと違って口数も少なく、大人しい女だが、そういう女がオレにとって吉と出るわけではないことを知っている。 「いい加減、初恋をこじらせるのやめて、素直になりなさい」 「アザミ様に一目惚れしたくせに、ジン陛下や他の四獣王に叶わないからって、白珠館の女に逃げたあんたも悪いでしょうに」 「え、何年前よそれ。脱童貞のときの女でしょ?」 これだから女はイヤだ。人が消したい過去をほじくり返して、傷口に塩を塗ってくることを悪いとも思わない。 アザミに似ていると姉貴たちはいうが、全然似てない。似るはずもない。ただの黒髪で、黒い瞳をした年上の女だっただけだ。 「イルハ様の寵姫になれば、のし上がるのにラクじゃない」 そういう陰口をたたく女だと見抜けなかったのは、オレの苦い記憶だが、これでも傷心した。そんなオレに、姉貴たちは「いい勉強代」だと言ったのだから慈悲も涙もない。 「オレはアザミに惚れてもねぇし、逃げて童貞捨てたわけじゃねぇ」 気分が悪い。夜に帰ってくるんじゃなかったと、苛立ちが最高潮に差し掛かる。 そんなときに限って、姉貴たちは深追いせず、顔を見合わせて溜息を吐いてくるのだから余計に苛立ちの行き先がなくなる。 「衣装の流行を作るのにオレを利用すんな」 ふんっと、捨て台詞のような図星だろう事実をあえて口にする。 姉貴たちの顔が少し引きつったところをみると、やはり図星だったのだろうと気分がいい。家の繁盛を考えるのは、後継ぎとして当然のこと。本当はオレが継ぐはずだった役目。 そのことを思うと、悪いことをしていないはずなのに、どこか申し訳ない気持ちになるから、すごくイヤだ。 「アザミに送りたければ、勝手に送ればいいだろ」 「黄宝館に?」 「他にどこに送るんだよ」 そう返せば、今度は「きゃー」とよくわからない歓声が響き渡る。 黄宝館に行けるだとか、中心部の流行が知れるだとか、目的とかけ離れた話題で盛り上がり、早速用意をしなければと興奮気味に話し始める。 たかが花魁、されど花魁。 アザミが袖を通す衣装は、誰もが袖を通せるものではない。 黄宝館は世界最高峰の遊郭であり、有数の妓女が集う場所。金も美貌も渦巻く不夜城の中枢に出入りできるのは、華族でも限られた商家だけ。 「イルハが弟でほんっとよかったわー」 こういうときばかり調子のいい姉貴たちの褒め言葉は流すに限る。 次女、三女は手伝いに顔を出しているだけだが、姉貴の婿養子は毎日こんな環境で暮らしているのかと、ふと思い出したのは、奥から姿を見せたせいだろう。 オレとは真逆の大人しい男。 「まあまあ、それくらいにして。店先なんだし、お客様の迷惑になるよ」 へらへらした態度で姉貴たちの機嫌をなだめる姿は、ちょっとむかつく。いや、かなりイラっとする。男たるもの、威厳をもってほしいと思う。 仮にもオレの兄貴なんだから、男らしく、バシッと言えばいいのにといつも思う。 「イルハくんも、湯浴びをしておいで。湯は沸かさせたからって、あれ」 無言で踵を返して家を出たオレの背後で、姉貴たちがまた騒いでいたが、何を言っていたのかは知らない。オレは平穏を取り戻すため、もう一狩り行きたい。 邪獣を倒して、平穏を取り戻す。 ジンからの呼び出しもなければ、遊郭の見回りをする気にもなれない以上、邪獣を狩るのが一番いい。でも、そういうわけにもいかないことを、家を出てすぐに思い出した。 いや、思い出させられた。 「やっほー、イルハくん」 オレの中で、男らしくない男の代表格。いつも女に囲まれて、へらへらとしている四獣の一人。青龍王、賢帝のヒスイ。 「ちっ。何の用だよ」 「ジンくんにお届け物ついでに白珠館に寄ってイルハくんを捕まえようと思って。でもいなかったからさ、こっちかなって」 「どこにいようと、てめぇには関係ねぇだろ」 「舌打ちもどうかと思うけど、すっごい格好だね。何匹倒したらそうなんのさ。コウラくんに順番流されて、苛立ちを邪獣にでもぶつけてたの?」 「……は?」 「白虎領には邪獣狩りの特殊部隊もあるんだからさ、特別ひとりで見回る必要もないでしょ。ジンくんはイルハくんに甘いからなぁ。末っ子同士気が合うのかな?」 いつも遠回しな言い方をして、何が言いたいのかわからない。 オレは考えたり、考えさせたりすることがキライだ。目の前にいるときは、はっきり告げてほしいと何度言っても、ヒスイには通じない。 通じたことがない。 だからこうして、睨み上げる以外の反応を示さなくなった。オレも馬鹿じゃない。相手にするだけ無駄だとわかる。それよりも何よりも、へらへらした男のくせに、身長も身体もオレよりデカイのが地味に腹立つ。 「四獣の通信、切ってるでしょ。アベニくんの番も無事に終わって、今はコウラくんが番をしてるけど、交代の日、今日だよ。イルハくんが来ないって伝言飛ばしてきたときのコウラくんの声は面白かったけどね。ボクが行ってもよかったんだけどさ、それだと不公平だから」 怒るわけでもなく、注意するわけでもなく。 ヒスイは距離を保ったまま、緩やかに笑っている。 そこでようやく、オレは四獣の通信を切ったままだったことに気付いた。「ああ」と解除して、アザミのところへ行くなら着替えたほうがいいなと思う。 「話はそれだけか?」 汚れた服を見て、顔をあげて、その近さに驚いた。 音もなく距離を詰められた威圧感に、本能が息をのむ。 「イルハくん。わかってると思うけどさ」 そのとき、初めてヒスイも四獣のひとりなのだと認識した。 いや、させられた。 笑顔の裏に隠された本性が、オレの闘争心を刺激する。 「アザミちゃんのこと、傷つけたら承知しないよ」 そう言ったヒスイの声は低く、まったく笑っていない龍の目がオレをじっと見つめていた。
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