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(挿話:五色のあり方)
豪華絢爛の金色の建物を出れば、提灯が連なるにぎやかな街並みが広がる。
深夜にも関わらず、明るい街は人であふれ、そこかしこで老若男女問わず行き交う人々の会話が聞こえていた。
「麒麟でも邪獣が出たらしいぞ。玄武王が直々に退治に向かわれたとか」
「物騒な世の中になったもんだ。まあ、人がこれだけ増えりゃ、陰禍も増える。陰禍が増えりゃ、邪獣が出てもおかしくねぇよ」
「世界一安全な遊郭街といえど、それもそうね」
「最近、邪獣の出没をよく聞くねぇ。だけど統王様と四獣王がいらっしゃるから安心して暮らせるわ」
「先帝と違って、今の統王様はよく市中を見回りして陰禍を払ってくださるからなぁ」
がやがやと商店と妓楼をつなぐ道は声で埋まり、その声もまた様々な憶測や噂を運んでいる。
大弐本帝国の帝都にある世界屈指の遊郭街『麒麟(きりん)』
確かに邪獣の被害は他より少なく、栄華を誇った歴史ある場所といっても過言ではない。
三百年前、天女が帝国をふたつに分けたときから、陰禍(おんか)という闇や影に近い気配が地上をおおい、やがて邪獣(じゃじゅう)という悪しき化け物が出没するようになった。邪獣は人を襲い、街を破壊する。兵や自警団が退治を試みるが、最終的に害がないまでに邪獣を消滅させることができるのは天女の加護を受けた四獣のみ。
さらに邪獣を生みだす陰禍を払うことができるのは、選ばれた皇帝陛下=統王のみであり、今はジンという青年がその役目を担っている。
「ジン陛下が統王となられて二十年。四獣王の方々も歴代最高の力を持っているといわれているし、まあ、しばらく世は安泰だよ」
「今夜も黄宝館の最上階では花魁と王様方がいらっしゃるのかねぇ」
「決まってるだろ。あの花魁だ、毎晩だって飽きやしねぇ。いいねぇ、一度でいいからわたしも絵姿じゃなく本物を拝んでみたいもんだ」
「あはは、天女様に選ばれた者じゃなけりゃ花魁なんて拝めやしないよ。黄宝館に足を踏み入れることすら、相当の金が必要だってのに」
「違いねぇ」
談笑の風は変わらずに流れ続ける。その中を小さな足は縫うように進んでいく。
深夜の繁華街を子どもひとり。歩くことは珍しいことではない。
夜に煌々と明かりを灯すのは暗闇を好む陰禍の発生を抑制するためであり、人々はもう三百年近く昼夜逆転の生活をしている。朝は夜に、夜は朝に。深夜は真昼と同じ、一番安全な時間帯ともいえる。
ニガナはもらったばかりの駄賃を握りしめて、菓子の出店が並ぶ一帯に足を運んでいた。
「ニガナちゃん、一人で花魁のお使いかい?」
「ニガナちゃん、新しく入った菓子があるよ」
ニガナは贔屓にしている菓子屋の前までやってくると、いつも通り出迎えてくれた夫婦の声かけに応じて、駆け込んでいった。
「今夜は邪獣が出たそうだよ。花魁は大丈夫かい?」
「うん」
ニガナは大きくうなずいて、陳列された色とりどりの菓子棚へと近づいていく。
菓子棚の中央には大きな祭壇があり、アザミの姿を描いた絵が祀られていた。
花魁信仰。災厄をもたらす天女を封じる花魁は、人々の信仰対象であり、黄宝館の最上階で生涯を過ごすその姿に敬意と崇拝を持つのだろう。毎年新しい絵姿に差し代わり、今は金色の着物に四色の帯をまとった姿が描かれている。
「さっきのお菓子はどれになりんすか?」
店先で「新しい」と言っていた菓子はどれかと、ニガナは絵姿から顔を落として店主に尋ねる。店主は少し上の棚にある箱を取って、花の形をした和菓子をニガナにも見えるように差し出した。
「わぁ、すごい」
「だろう。五つの高級遊郭を模した花の菓子だ。栄光の沈丁花、幸福の梔子、初恋の金木犀、慈愛の蝋梅、そして高潔の菊」
ニガナは迷わず菊の形を選んだ。
黄色の練りきりに金箔が散らされ、丁寧に花弁が細工された見た目の鮮やかな菓子で、ニガナの両手にすっぽりと収まる大きさをしていた。
「はい、こっちはおまけだよ」
駄賃ではひとつしか買えなかったが、店主は気をきかせて五色の飴玉が入った袋をニガナに持たせる。先ほどの花と同じく、帝国では何かと五種類そろえることが縁起物とされるためだろう。
「ありがとう」
ニガナは五色の飴玉のうち、黄宝館を意味する黄色の飴玉をひとつ口に含んで、お礼を言った。持って帰る菓子は五つでいい。四つの飴玉の入った袋を右手に通し、両手で菊の和菓子をもって、ニガナは元来た道を戻っていった。
* * * * * *
人払いをした部屋に招集されたのは見慣れた四人の若者と一人の王。
全員が同年代であり、顔なじみともなれば、おのずと砕けた雰囲気になるのは致し方ない。とはいえ、仮にも職場であり、上司に呼び出された状況である。椅子に座り、難しい顔のまま黙っている美しい王の前で、四人の若者は膝をついて礼を取る姿勢のままそこにいた。
「顔をあげよ」
ジンは上がることがない面々に嘆息しながら「許す、顔をあげよ」と形式を口にした。
ジンと対面するように並列するのは、四獣と呼ばれる四人の男。右から、アベニ、イルハ、ヒスイ、コウラとなるが、それぞれ朱雀、白虎、青龍、玄武の異名と共に王の側近として仕える従者でもある。
「先ほど、わたしは邪獣に襲われ、生死をさまよった」
「とても生死をさまよったようには見えないんだけど、さっきコウラくんが対処してた麒麟での邪獣騒動を言ってる?」
「だが、事実だ」
藍色の長髪、深い青の瞳を持つヒスイの柔らかな口調に、ひとつの嫌味がこもっていることを知りながら、ジンはコウラの方を見る。コウラは後頭部の低い位置で縛った黒い長髪を揺らして、長く垂れた前髪をかきあげた。
「昨夜、陰禍払いに出向かれたジン陛下は、麒麟中枢部で邪獣により負傷。黄宝館の近くであったことから、わたくしが出向き、負傷したジン陛下を花魁に預けました」
しんと静まり返る室内。そしてヒスイは何かを察したように「あー」と口角をあげた。
「ジンくん、童貞卒業おめでとう」
「なっ、違、ヒスイ。今のコウラからの報告を聞いて、な、ど、どこがそういう話に」
「改まって何の話かと思ったら、そういうことかぁ」
赤い顔で椅子から転げ落ちそうなジンに対し、ヒスイは膝を崩して胡坐をかく。その隣では真面目な顔でコウラが「よい報告をした」と満足そうに口を閉ざし、反対側ではイルハがうんざりしたように鼻を鳴らし、その隣でアベニが思い出したように「それでか」と呟いていた。
「ジン、加減を覚えねぇとアザミに嫌われるぜ?」
ヒスイにならって足を崩したアベニの言葉に「どういうことだ?」といった顔をしたのは、ジン以外の男たち。アベニはジンではなく、並列する顔に向かって、「アザミは腰が抜けて立てなかったんだよ」といらぬ報告を付け加えた。
「しかも血まみれ。その状態で放置して先に帰ったのはどうかと思うけどな」
また、しんと静まり返る室内。
「血まみれ」とイルハが小さく呟いたせいで、ますます空気が重たく落ちこむ。
「違う、違わないけど、そこじゃない。わたしはひん死の重傷だったはずなのに、あの女が何かして、いまはかすり傷ひとつないのだ」
そこで服を脱いで弁明を図るところがいかがわしいと、物言わぬ四人の視線が語っている。
ジンはその端正な容姿からは想像できないほどの焦りようで、決して自分から手を出したわけではないと言い訳を並べていた。
「大丈夫だ。あの女には忘れろと言った。昨夜のことはなかったことにした」
三度、しんと静まり返る室内。けれど、今回ばかりは殺気がにじんでいるような気がしないでもない。その証拠に「は?」とコウラの口から地を這うような低音が吐き出された。
「ジン陛下が花魁を抱いた事実は変わりません。あれほどの傷が癒えたことは花魁の持つ天女の力が証明しています。四獣は盟約に従い、花魁との交わりをもって邪獣と戦う義務があります。ジン陛下がどうであれ、わたくしはアザミを抱きますよ」
そうしてコウラは立ち上がって、先に部屋を出て行ってしまった。
明らかに怒っている。物言わぬ背中と、肌に凍てつく冷気の残滓が告げている。
「ジンくんが先帝との確執に苦しんでいるのは知っているけど、今回はボクもコウラくんに一票かな」
「たかが花魁の処女を奪ったくれぇで面倒くせぇ。オレは今まで通り変わらねぇ」
コウラが立ち去った場所を撫でて笑ったヒスイの横で、イルハも立ち上がり、そして消える。それはまるで雷光のように一瞬で、周囲には微弱な静電気が残っていた。
「イルハはアザミと必要以上に接さねぇからなぁ」
「それでも、あの子も四獣として天女への愛からは逃げられないよ」
「天女への愛ねぇ。で、ジン。どうすんだよ?」
結果的にアベニとヒスイと三人になった輪の先で、ジンは痛む頭を押さえて顔をあげる。
「陰禍は年々濃くなり、邪獣の数も被害件数も増えている。花魁ひとりに時間を割く余裕はない。それでなくても、この国には苦しんでいる民が大勢いる」
先代が花魁に費やした時間によるしわ寄せを受けている身として、その言葉は本心であり、真実でもあるのだろう。幼いころから傍にいる四獣もそれを理解している。女遊びもせず、ひたすら国のために尽くしてきた若い王だからこそ、国民に支持され、多くの家臣が集まった。
二十八歳という適齢期を過ぎても、愛妾どころか馴染みの妓女や侍女など、周囲に女ひとり置かない姿は、男色ではないかという噂を真実に変えかねない。それでも黄宝館に存在する花魁がいる限り、ジンはわずらわしい世継ぎ問題から解消され、自由に独身であり続けられる。
即位して二十年間。ずっとそうしてきた。
そしてこれからもずっと、そうであると思っていた。
「それでも、ジンくん。邪獣の怪我を癒してくれたのは花魁のアザミちゃんでしょ」
「命の恩人に礼儀をかいちゃ、統王の名折れだぜ?」
「……はぁ」
目を閉じると思い出す。柔らかな肌の感触、自分の名前を呼ぶ涼やかな声。絶対会わないと決めていた花魁は、想像よりもずっと小さく、どこか悲しそうな目をしていた。
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