序章:王と花魁

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(Side:ジン)積年の思い わたしが帝国を継いだのは八歳だった。 先帝は当時の花魁に入れ込み、四獣さえも花魁に触れることを禁止し、圧政を敷いたため三十年も国は暗黒の時代を送っていた。陰禍を払う最低限の義務を放棄し、民の暴動も幾度となく起こった。災害、流行病で国力は疲弊し、他国から受けた侵略も一度や二度ではない。 そんな中で先帝が急死し、突如祭り上げられた幼いわたしにできることといえば、方々に足を運び、陰禍を払うことだけ。 「陛下が統王となられて、国は安泰に向かっております。しかしながら幼きゆえ、我々が知恵を授けましょう」 幼いうちに執り入れば、容易に政を操作できると思ったのだろう。 仮面を張り付けて近付いてくるものは多く、懐柔するために派閥を争い、私利私欲にまみれた家臣で周囲が埋め尽くされていたのはいうまでもない。特に華族は先帝が圧政を強いている間に、強大な権力を得ていた。 「ジンは華族がキライなんだな」 十一歳になるころ、当時五歳のイルハが口にした言葉は図星だった。 わたしは、わたしを取り巻く環境に、ほとほと嫌気がさしていた。元凶である華族の代わりに、四獣をはじめ、心許せる者たちを置くようになったのは仕方がない。そして、これに反発の声があがるのも仕方がなかった。 「陛下、なぜ我が領地の税金を下げられたのです?」 「ジン陛下は忙しい、要件はわたくしを通していただきましょう」 「そうそう。ジンくんは、民から巻き上げた税金を横領してる人の言うことなんて聞く時間はないの」 「なっ、いいがかりだ。陛下、このような者の意見を聞いてはなりません」 「何が言いがかりだよ、華族の旦那。そもそもジンだぞ。気付かないと思ってるのか?」 「ジン。こいつ、黙らせてやってもいいぜ」 四歳年上のコウラ、同年代のヒスイとアベニ、六歳年下のイルハ。 四獣が傍にいることは、わたしにとって何よりも代えがたい宝であり、勇気をくれるものだった。生後すぐに母を亡くし、花魁の元へ通い詰める父の背中を見て育ったわたしは常に孤独で、遊び相手もおらず、本を読み、剣術に励み、陰禍払いの修行の日々だったせいもあるだろう。王となった日、天女が選定した四獣は、わたしにとってかけがえのない存在として今もずっと共にある。 そして同じ日、わたしには一人の花魁があてがわれた。 名前はアザミ。左手首に菊の封花印が現れ、黄宝館に匿われたそうだが、四歳年下の美しい娘だという。 「ジンくん、どうして今日こなかったのさ?」 いつものように多くの書類に目を通し、優先順位と対策を決めていたわたしの元へ、珍しく着飾った四獣がやってきたのは、いつの頃だったか。イルハはまだ小さかったから、十年ほど前かもしれない。 「今日、何かあったか?」 書類から顔をあげないわたしに痺れを切らしたヒスイが、書類の上に手を置いて不機嫌な態度を訴えてくる。その手の甲には龍の鱗。月に一度程度、青龍の加護を受けたヒスイはその体に龍が宿り、激痛にさいなまされる。そういう日は大抵顔を見せないのだが、妙に着飾っているあたり、よほど大事な行事でもあったのだろう。 わたしが知らない行事。 そんなものはないはずだと、ようやくわたしは顔をあげてヒスイを見た。 「うわぁ、本気で覚えてない顔だよ、これ」 「だから言ったろ。ジンは首根っこ掴んででも連れてこなきゃ覚えてねぇって」 「顔合わせは来なかったけどさぁ、さすがに見世に上がる催事には参加するって思うでしょ」 仮にもジンの花魁なんだし、と。ヒスイの言葉を聞いて、ようやく思い出す。 わたしの机の前でヒスイとアベニが何やら押し問答しているが、その後方ではイルハが退屈そうにあくびをこぼして、その隣でコウラが無表情で立っていた。 コウラが無表情だということは、わたしの行動の真意を測りかねるからだろう。しかし、わたしも伝える言葉は変わらない。 「わたしの前で花魁の話はするな」 以上だと、わたしは業務に戻る。イルハ以外の全員が何か言いたそうな顔をしていたが、知ったことではない。 天女に加護を受ける四獣と異なり、王家は世襲制だ。 花魁との間に子を授からなかった父は、六十代にして適当に複数の娘を選び、子を産ませた。おかげで異母兄が一人いるが、お産の身重が悪かった母を見舞うことなく、花魁の元へ通う父。宮中で聞かない日はない、哀れみの言葉と蔑みの言葉。 花魁さえいなければ。何度思ったかわからない。 だから自分が王になったときは、先帝の二の舞にはならないと決め、花魁には一生関わらないと誓った。国のため、民のために生きるのだと、四獣にも伝えてきた。 「一生、衣食住に困らない生活ができている女にかまってる暇はない。わたしは一日でも早く、この国を豊かなものにしたい」 それは確固たるわたしの信念であり、気付けば王となって二十年の月日が流れていた。 妃のいない二十八歳の王。覇権争いを好む輩の格好の餌食。血縁者を王族と結ばせようとする申し出に嫌気がさし、わたしは夜になると「花魁の元へ通う」と口実を盾に、陰禍払いに出かけるようになった。 夜になると煌々と輝く不夜城。屈指の遊郭街でもとりわけ華美で賑やかなのが黄宝館のある麒麟。帝国には五つの遊郭街があるが、麒麟が格別だとされるのは、天女を封じる花魁がいるからだと幼子でも知っている。 今日、麒麟に足を踏み入れたのは、たまたま陰禍の気配を強く感じたからで、他意はない。何気なく足を運んだ場所で、わたしは不覚にも邪獣に襲われ、気を失った。 「ひっ……ぃ……ァッ、ふ」 何やら、ふわふわと心地よく、傷が癒えていく気配がする。 いい匂いがして、痛みとは別の痺れが心地よく全身を揺らしている。 ついにわたしは死ぬのかと、志半ばで息絶えるのかと、悔しさと歯がゆさに全身に力がこもる。 「ァッ……はぁ…はぁ……ッへい…か」 鈴の音のような愛らしい声がして、意識がやわらぐ。 その声をもっと聴きたい、自分が動けば跳ねる声が高らかに鳴ることを知って、わたしは無我夢中で全身を揺らしたのを覚えている。 何度も「陛下」と呼ぶ声を無意識に求め、言いようのない快感が脳天から抜けた時、わたしの意識は微睡から目覚め、そして驚愕した。 「…………うわぁぁあっ」 咄嗟に突き飛ばした柔らかい何か。気のせいでなければ、わたしのいちもつは女の蜜に濡れて、射精後の名残を月下にさらしている。 なぜ、このような事態になっているのか。 生死をさまよったわたしは、見境なく女を襲うような男だったのか。 慌てて服を拾い、ひとまず全裸の女にそれをかぶせた。 自慢じゃないが、女の肌など初めて見る。言葉を交わした数も少なく、親しくしている女もいない。それなのに、女と交わってしまった。わたしは皇帝陛下、ふたつの帝国をまとめる統王。いくら意識がないとはいえ、わたしに手を出されて拒める民はいない。だから気を付けていたのに、なんたる醜態。 自分の不甲斐なさに嫌悪と羞恥と、それから申し訳なさが混じって、どこの誰であれ相応の詫びをしなければと思っていた矢先、顔をあげた女の正体に嫌悪が勝った。 アザミに対して嫌悪したのではない。 絶対に手を出さないと決めていた花魁に手を出した自分が許せなかった。 「……今夜のことは忘れよ」 それは、咄嗟に口から出た言葉だったが本心でもあった。 全部忘れる。それが双方にとって一番いい。それなのに「わかりんした」と、あっさり承諾された声に苛立ちを覚える。 薄明かりの中で見ても美しい女。黒い髪に黒い瞳。華奢な身体に流麗な所作。気品あふれる物腰と可憐な声。出会わなければよかった。触れなければよかった。 「くそっ」 四獣を招集し、ことの重大さを告げたはずなのに、なぜかわたしは怒られた。 コウラは部屋を出ていく始末で、ヒスイとアベニは物わかりの悪い子供を見るような目で諭してきた。なぜだ。なぜ、こんなことになったのか、わからない。 アザミの姿を思い出すと塞がった傷口が痛む気がする。勝手にそそり立った陰茎まで痛いほど脈打ち、またアザミの中に埋まりたいと駄々をこね始める。 わたしの名を呼ぶはずのないアザミの声が聞こえる気がする。 「……アザミ……っ」 脳内に映る顔を呼んだ瞬間、言いようのない恥ずかしさがこみあげてきて、赤面してしまうのがわかる。恐る恐る自分の陰茎に手を添えてみれば、とても元気に返事をして、先走りをにじませようとしている。 「……なにをしているんだ、わたしは」 命の恩人。たしかにそうなのだろう。彼女にわたしの真意は伝えていない。伝えたこともない。湯に入って頭を冷やそうと服を脱いだところで、自分の陰茎に少し血がついているのがわかった。 わたしは怪我をしていない。 その正体がなにかわかったとき、とても人には見せられない感情に襲われて、わたしはひとり天を仰いだ。 「くそ……っ、くそ」 健気に待っていてくれたのだろうか。その事実に思い至ったときには、もうすべてが駄目だった。求め人を待ち続けるのは、どれほど苦しいか知っている。孤独か、知っている。 二十年も放置した男を救う気持ちはどんなだっただろう。 その日、一人戻ってきた自室で、わたしは朝まで一睡も眠れなかった。
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