空に吠える

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 しかし、私にも友人がいないわけではなかった。タクシーを降りた私は横開きのドアを開けて居酒屋へ足を踏み入れた。 「誠、こっち!!」  どっと膨れる人の声に紛れながらひと際通る幼馴染の声が私の耳に届いた。雑多なテーブルと人の間を通り抜けて呼ばれた相手の向かいの席に座る。 「随分出来上がっているようだな」  天野博美は片手にビール、テーブルには空のジョッキが置いてある。今日は彼女からの誘いで久しぶりに外へ出てきたのだ。 「仕事が早く終わってさ、誠みたいに暇人じゃないから労働者にはこのアルコールが染みるのよ」  容赦ない言葉だが変な気づかいがない彼女の言葉がありがたい。私もそろそろ前へ進まないといけないのだ。店員の女性にビールをお願いして乾杯をする。博美はぐっとジョッキを掲げて白くすらっとした首に黄金色の液体がするすると入っていく様は豪快で爽快だ。CAとして働く博美は仕事終わりのお酒が何よりの私服だと以前話していた。男の子と一緒に野山を駆け回り、活発だった彼女が飛行機の中で颯爽とサービスを提供する姿はいまだ想像できない。今ではキャリアも上がって国際便にも乗っているらしい。  博美は昔と変わらずよく話した。仕事や恋人、趣味、政治のことなど多種多様の話題に私の近況や今後をさりげなく聞き出す話術は見事だった。テーブルに料理が運ばれれば酒が進む、酒が進めば会話が弾む。気づけば外が暗くなり、人口の明かりが煌々としていた。 「あれって俳優の人に似てない?」 「え、だれ?」 「ほら、前人気あって今はあまりでなくなった」 「だから誰よ」  斜め右のテーブルの女性たちの声がふと聞こえた。以前ほどは落ちついたが俳優や映画の話題は私にとって重圧で、体に悪寒が走っていた。彼女たちが見上げていた場所へ私も首を巡らせた。どうやらお店に備え付けられているテレビを見て話していたのだが、その映像を見てぞっとした。  テレビでは紛争被害のニュースが流れており、西アジアのどこかの国が映されている。土煙の舞う中カメラを見ている青年の顔に見覚えがあった。それは人生で幾度も目にし、数年前まで日本中に映されていた私の顔だった。 「どうしたの」  呆然とテレビを見る私を不思議に感じ、振り返った博美も小さく声を上げた。一瞬先ほどの女性たちがこちらを振り返ったが特に気にせずに自分たちの話に夢中になる。私はもう一度テレビの中の青年を凝視した。服装や髭は異なるがそれ以外は自分でもまるで違和感がなかった。そして彼の瞳から目が離せなかった。同じ瞳なはずなのに青年のものは光が宿りぎらついている。人と表すより動物が適した活きた目をしていた。私に今の低堕落な自分を睨まれている気がした。  一気に酔いが醒めた私たちはそのまま店を後にした。タクシーを呼ぼうとしたが博美はすぐに断った。 「誠もたまには電車とか歩いて帰ってみたら」  何か言いたげな視線を残したまま去っていく博美の背中を見送ったのち、私は歩いて帰ることにした。飲み屋が賑わう通りもストリートミュージシャンの過剰にエコーのかかった歌もまるで聞こえなかった。信号を待っている間、私はポケットからスマホを取り出してある人物の名前を検索した。そしてそこに書いてある電話番号へコールをかけた。耳元で数回鳴り続けたのち、相手の声が聞こえた。 「はい……」  男の声に唾をのんだ。
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