夫になる男

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夫になる男

 二年前、世界に闇が広がった。  とある魔族が強大な力を持ち、世界の征服を目指したらしい。空は分厚く黒い雲に覆われ、あちこちで魔物が凶暴化した。口では言い表せないような様相になってしまった村から命からがら教会に逃げてきた人々もいた。  すぐに討伐軍が各地で結成され、その中には夫になった男が率いたものもあったらしい。教会が拠点の一つとして利用されていたため何度か見かけることもあったが、腕が立つ騎士だったようで、最期を迎える人々も少なくなかったというのに涼しい顔をしていたのが印象に残っている。黒く分厚いマントを纏い悠々と靴音を響かせる姿は高貴で頼もしくもあり、一方で不気味な恐怖心を煽ってもいた。  そんな彼ですら魔族の王に適わなかったわけではなく、数名の騎士たちが何度か首を落としたという報せはあったのだ。しかしどういうわけか一日もすれば何事もなかったかのように王は復活していて、どうやら完全に滅するには封じられた聖剣を用いる他ないだろうというのが神父様の見解だった。  国中の生者は全員その聖剣を握ったものの、ついに台座からその剣を抜くことはできなかった。厄介なことに、勇者として剣に認められないとそれを振るうことはできないという伝説は本当だったらしい。  そこで希望を託されたのが聖女と呼ばれていた私だったのだが、正直私が解決できるとは全く思いもしなかった。人より少しばかりできることがあるだけで魔力が飛び抜けて多いわけでもないし、魔術なんて日常生活に役立つものと怪我人の治療以外ほとんど使ったこともなかったから。  しかし王様にまで頭を下げられては挑戦しないわけにはいかない。  最後の希望と言わんばかりに足りない魔力を補うための高価な道具が国中からかき集められ、ほとんど嘘か誠かわからないような魔法書に記されていた、普通ならば発動させることも叶わない『魔法』を手順通りに慎重に組み上げる。魔術とは違い、特別な魔力を用いて人為的に起こす奇跡。成功する保証などどこにもなかった。  全てが終わった頃、光り輝く壮大な魔法陣の中心には異界から召喚された『勇者』が横たわっていた。成功してしまったのだと気づいた私は心臓が凍るような心地で立ち尽くした。  ヒロと名乗った勇者様はいとも容易く聖剣を抜き、討伐軍とともに魔王の首を切り落とした。剣など握ったこともないと聞いたが、聖剣の効果なのか勇者として召喚されたがゆえの神の加護なのか、その太刀筋は大変鮮やかなものだったと聞く。  かくして世界の平和は取り戻された。  勇者様は讃えられ、討伐軍は解体される。国も少しずつだが活気を取り戻し、空は青く澄み渡り、魔物たちも共存できるほどに落ち着いた。  ――勇者様が元の世界に戻ることなく。  呼び寄せてしまった負い目から私はよく彼の様子を見に足を運んだ。元の世界よりこの世界の方がよっぽどいいなんてはにかんでいたが私の心が晴れることはなかった。本来ならばしなくて済んだはずの、死の危険に立ち向かわせるなんて酷なことをさせてしまった。  会いに行き言葉を交わすうちに彼に誘われて街に出る機会が増え、ほとんど修道服を着ている私へ贈り物をしてくださることもあった。鈍い私にすら好意を抱いてくださっていることはわかっていて、初めての経験に胸を躍らせては修道女たちに囃し立てられ頬を熱くした。  帰ってきたら話したいことがあると告げられて彼が魔族の城へ探索に出かけた次の日、あの男が教会の入口に立っていて――。
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