夫になる男

3/5
前へ
/33ページ
次へ
 ドレスに通した手に指輪がはめられているのを見て胸がひゅうと冷たくなる。そうだ。いくらアレクシアさんが良い人だったとして、私がよく知りもしない男の妻になった事実は変わらない。身支度すら自分でする自由はなく、軽々しく街に出ることも叶わないだろう。  夢に見た勇者様の姿が瞼の裏に蘇る。彼が話したいこととは何だったのだろう。ひょっとして、私と添い遂げたいと思ってくれていたりして。だとしたら、もし勇者様の方が早くに婚約を申し出てくれていたら、この城に来ることなんてなかっただろうに。  沈んでいくのがわかってしまったのだろう。アレクシアさんは私から離れて何かを用意し始めているようだ。何をしているのか聞く気にもなれずドレッサーの前に腰かけたまま待っていると、ほどなくして透き通る赤い液体に満たされたティーカップが置かれる。 「お気に召すかはわかりませんが、疲労を和らげる効果があります。急にこんなことになってしまってお疲れでしょう」 「……ありがとうございます」  まさか毒なんか入っていないだろうと思いながら恐る恐る口に含む。爽やかな香りが鼻に抜けて瑞々しい甘さが広がった。ちょうど良い具合に冷ましてくれたのか、飲みやすくていくらでも飲めてしまいそうだ。寝起きの乾いた体に染み渡る水分が心地好い。少し気が晴れる清らかさがありがたかった。 「美味しい、です」 「それは良かった!」  顔がぱっと華やぐ。私よりずっと年上だろうに笑顔になるとどこか幼さが滲んで愛らしい。あまり知りもしないというのに、既に彼女が私の侍女で良かったと心から思うほどだ。  しなやかな手が丁寧に私の髪を櫛でとかし、香油を揉みこんでいく。おしゃれが好きな女の子の実験台になって髪を結われることなんかはあったが、こうして世話を焼かれるのは随分久しぶりのことでむず痒い。聖女だと判明したときに王城からの招待を受け入れていたらこんな生活が待っていたのだろうか。……受け入れずとも結局こうなったわけなのだが。 「昨日整えさせていただいたときも惚れ惚れしましたが、本当に素敵な銀色ですわ。海のような瞳によく似合っていらっしゃいます」 「……海を見たことがあるんですか?」 「ええ。ご興味がおありなら、クロエ様が見たいとおっしゃればすぐに旦那様が連れ出してくださいますよ」  眉毛や睫毛まで髪と同じ色をした姿は不気味だろうに、彼女の言葉は嘘には聞こえない。首を覆う程度の長さで切り揃えていたのも女にしては珍しいというのに。  相手の長い髪を編むことが代表的な愛情表現とされるこの国でそんなことをしていては、まるで未亡人のようだと修道女たちに苦い顔をされたのを覚えている。聖女という立場に立場に囚われず、愛する人を見つけたならば幸せになりなさい、とも神父様に隠れて何度も言い聞かされた。愛に満ちた良い女性たちばかりなのはこれ以上ない幸運だった。
/33ページ

最初のコメントを投稿しよう!

14人が本棚に入れています
本棚に追加