2.剣士

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2.剣士

真矢(まさや)」  稽古のあと、道場の庭先で井戸水に浸した手拭いで身体を拭っていると、後ろから声がした。  振り返ると、真矢の親友の飯田文吾(いいだぶんご)が立っていた。  徳川の治世。場所は地方のある小藩の無心一刀流(むしんいっとうりゅう)道場。  事が起きる数日前のことだった。 「どうした? 文吾」 「いや……その」 「静香(しずか)殿との婚礼が迫っているというのに、嬉しそうではないな」  真矢が揶揄(からか)うと、文吾は少し照れたように笑う。 「そんなことはない。ただ、いいのだろうか?」 「何がだ?」 「お前は静香殿と幼き頃から一緒だった。剣術の腕も、俺より上だ。俺よりもお前の方が、この道場の婿(むこ)相応(ふさわ)しい」  静香と夫婦になるということは、静香の父である渡辺尚武(わたなべしょうぶ)の跡を継ぎ、この道場の主となる。  つまり、将来的には藩主の剣術指南役となるのだ。 「自信家のお前がそんな弱音を吐くとは思わなかったな。怖気(おじけ)づいたか」  真矢にはなんの屈託もない。 「そんなわけはない! ただ……」  文吾は言葉に詰まる。 「静香殿も、俺なんかよりお前がいいに決まっている。噂では、最初先生は婿の話をお前にしたのに、お前が断ったというではないか」  真矢は弱音を吐く文吾を見て笑う。 「馬鹿だな。そんな外野のやっかみに惑わされるな。俺はこの道場の前で行き倒れた行商人夫婦の遺児だ。先生と奥様が不憫(ふびん)に思い、内弟子としてここまで育ててくださった」   真矢は衣服を整えながら続けた。 「武士の子でもなく、どこの生まれかもわからない俺が、代々剣術指南を務める道場の婿になれると思うのか?」 「しかし……」  人格も、剣術の腕も、すべて真矢が上であることは、親友である文吾が一番よく理解していた。  唯一、文吾が勝てるのは、家柄くらいのものだろうか。文吾は三男坊とはいえ、藩の普請奉行の息子だった。 「静香殿と俺とは、兄妹のようなもの。俺は我が子のように育ててくださった先生や奥様にご恩を返すため、これからは静香殿とお前の役に立とうと思っている」 「お前は、本当に根っから真面目な奴だな」  文吾がため息を吐く。 「いらぬ心配をしているお前の方が、よほど真面目な奴だ。それに、そんな心配をするなら、静香殿を精一杯幸せにしてやってくれ。これから静香殿を一番近くで守っていくのはお前なのだからな」 「わかった。約束する」 「わかったら、さっさと稽古に戻れ。俺はちょっと用事があり出てくる」  真矢は文吾に告げた。  道場に戻る文吾を見守る真矢の瞳には、なんの迷いもなかった。
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