3.祝言

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3.祝言

 静香と文吾の祝言の日、真矢はほかの門弟と一緒に、縁側の板張りの上で二人の三々九度を見守った。白無垢の静香は一層、美しかった。それはまだ誰も歩いていない、新雪が積もる雪原を思い出させた。  初夜。  新婚夫婦が暮らすことになっている屋敷の離れの、その縁側が見えるすぐ外の木陰に潜む黒い影があった。  真矢だった。  実は夕刻から嫌な予感がしていた。  障子の向こうの灯りが、二人がまだ起きていることを告げていた。このまま無事朝がくればいいと、そう真矢は願っていた。 「ああっ」  しかし願いは虚しく、寝所の中で静香の叫びが細く響いた。それは、男女の営みの中で起きた嬌声というより、もっと切羽詰まったものだった。  やがて障子に、文吾らしき影が立ち上がる姿が映った。手には確かに刀が握られていた。 「文吾!」  真矢はそう叫ぶと、庭を走り縁側に上がり、障子を開いた。  文吾は今まさに、静香に刀を振り下ろそうとしているところだった。 「ま、真矢様!」  助けが来て、静香が叫ぶ。  静香の声に真矢の方を振り返った白い寝間着の文吾の顔は般若のようで、目はこちらを見ているようでどこか宙を見据えているようにも見えた。  妖魔に身体を乗っ取られているのだろうか。 「文吾、どうしたのだ。目を覚ませ」  真矢は親友に声をかけるが、応答はない。  真矢は仕方なく、和尚から譲り受けた刀を構える。 「文吾、刀を捨てろ」 「〇△◆#×□●▼◇▲」  意味不明の言葉が文吾の口から洩れ、刀を構えて真矢に向かって来た。 「文吾!」    静香の記憶はそこで途切れた。  剣術指南役、渡辺尚武の一人娘、静香の婚礼の夜、婿となった飯田文吾が、静香と兄弟のように育った門弟の真矢に惨殺された。  静香に横恋慕した真矢が、初夜の寝所を襲い、嫉妬に狂って文吾を殺したのが事件の顛末だとされた。真矢も文吾に刺されて、事切れていた。  文吾の亡骸は飯田家に戻され丁重に葬られ、真矢の亡骸は真矢の両親を無縁仏として受け入れた大臨寺の和尚が願って引き取り、やはり無縁仏として葬られた。  『初夜の床で文吾が静香を(あや)めようとし、それを真矢が助けたという静香の証言がある』  一時(いっとき)、藩内にそんな噂が流れたが、すぐに飯田家の者達によって打ち消された。  無念の死を遂げたからか、文吾の顔は苦悶の表情だったが、真矢の死に顔は文吾に比べ穏やかで満足げなものだったという。  静香は新婚の夫を弔うためかしばらく喪に服していたが、数年後、父が選んだ門弟を再び婿に迎え、子宝にも恵まれて、そののちは穏やかに暮らしたという。  
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