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5.はじまり
あなたは覚えていますか? いつぞやあなたに命を助けていただいた者です。
あの時、私は生まれたばかりの仔猫でした。
雪国で生まれ、どうしてなのかすぐに親猫から離れてしまい、新雪の降り積もる雪原でひとりぼっちで死を迎えようとしていました。
ザクッ、ザクッ、ザクッと雪の上を歩く音がしてあなたが通りかかり、寒さに今にも命が消えそうな私に気がついてくれましたね。
「おう、可愛い仔猫だな。ハチワレ猫か? どうした? 親からはぐれたのか」
あなたは優しく私に声をかけると、凍るような身体の私を胸元に入れてくれました。そして、持っていた握り飯をすり潰して、私の口に運んでくれましたね。
私はあなたのお陰で生き永らえたのです。
あなたとする旅はとても楽しくわくわくするものでした。
あなたは一人旅を長く続けていた寂しさからか、私にいろいろなことを話してくれました。
名前は静流。あやかし退治の一族に生まれ、若くしてあやかしを追って、独り国々を旅していると教えてくれました。
旅の間、私はあなたの胸元に入り、首をちょこんと出して外を眺めていました。
巨人が暮らす国、黒魔術と白魔術を使う国。動物たちが人のように暮らす国。時には戦で人々の半数が死に絶えた荒地を行くこともありました。
あなたはさまざまな国であやかしを封じ、その方法を私にもわかりやすく説明してれました。
もはや私は自分が猫などとは思っておらず、喋れこそしませんでしたが、猫の言葉よりあなたの言葉の方がわかるほどでした。
あれは砂漠が延々と続く国だったでしょうか。歩き続けて見つけたオアシスで水を飲んで休んでいると、私達が来たのと逆の方からお供を連れた美しい女が現れました。
「静流。久しぶりね」
女は微笑んで、私達の隣に腰を下ろしました。
女は呪術師の蓮々と言いました。
時に静流のような退魔師と呪術師は助け合って仕事をするそうです。二人は一時期、同じ導師の元で修業をしていたこともあり、信頼し合っているのがわかりました。
「まあ、可愛い仔猫ね」
蓮々は私を抱き上げようとしましたが、私は考える間もなく蓮々を拒絶していました。
「ふふふ。この仔は雌猫だわ。私に嫉妬しているようだ」
図星でしたが、ミャウミャウと私は抗議しました。
「大丈夫よ。お前の大切な人を奪うつもりはないのよ」
そう言って抱き上げた蓮々の瞳に嘘はなかったので、私はそれからは大人しく抱かれていました。
「ほう。この猫は雌か」
暢気な静流は私を雄猫だと思っていたようでした。
蓮々のお供が椰子の木に登り、椰子の実を落してくれました。それを割って飲んだココナツジュースのなんとおいしかったことか。
静流と蓮々が情報交換をしている間、私は二人の周りを飛び跳ねて遊んでいましたが、それが終わると静流は西へ、蓮々は東へと別れ、また旅を続けました。
ある港町であやかしを封じて謝礼を得ると、静流は夜市で私のために首輪を求めてくれました。
それはこげ茶色の革のベルトの中央に銀細工が施され、その中央に大きなトルコ石が嵌ったとても美しいものでした。
それを首に付けてもらった私は、嬉しくて宿のベッドの上で飛び跳ねて喜んだものでした。
しかし、幸せな時間に終わりがきました。
あなたがあやかし封じの旅を終え、生まれ故郷の国に戻ってきた時のことでした。
たまたま寄った村であやかし退治を頼まれたあなたは、手強い妖魔をなんとか倒し、その身体を頭、上肢、胴体、下肢に切り分けて、四方に埋めて塚を作っていました。
そうしないと、このあやかしはまた蘇ってしまう、そうあなたは説明してくれました。
下肢、胴体、上肢と塚を作っていくうちに、その作業を見るのに飽きた私はあなたの胸元から飛び降りて、近くの草むらで悪戯をしておりました。
そんな私を、空の上から鳶が見ていたのでしょう。急降下してくると、私を咥えてまた舞い上がりました。
あなたは驚いて、あやかしの首塚を作るのを中断し、石礫を鳶に投げて私を助けてくださいました。
またしても、私はあなたに助けられたのです。
ところが……。
その隙にあやかしの首が蘇り、あなたの首元めがけて噛みつきました。
あなたは一族に伝わる妖剣であやかしの首に切りかかり再び倒しましたが、あなたも咬まれたところから妖魔の呪毒が身体にまわり、私が鳴くそばで絶命してしまったのです。
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