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 彰浩が目を開くと、見慣れない天井が視界に飛び込んできた。痛む頭を抱え飛び起きると更に知らない風景が広がっている。 「ここ……誰の部屋だ?」  ベッドとパソコンデスクそれに奥の小さな冷蔵庫の他に大きな家具は見当たらない殺風景な部屋だ。自分の家ではない。困惑したまま布団を跳ね除けると、やっぱり見たこともないスウェットを身につけている自分が見えた。そのまま首を傾げた時、玄関のドアから鍵を挿す音が響いて、彰浩は顔を上げて音のする方へ視線を向けた。 「あ、起きましたか?」  買い物袋を提げた光屋が、靴を脱ぎながら笑顔を向ける。ここはどうやら光屋の部屋らしい。光屋は部屋に入ると、彰浩の傍に座り込んだ。彰浩がそんな光屋に視線を向ける。 「ああ……今、何時だ?」  時計のない部屋を見渡して彰浩が問うと、光屋は腕時計を見やった。 「十時……少し過ぎたところですが」 「じゅ、十時! 会社!」  慌てて立ち上がると、強烈な頭痛が彰浩を襲った。耐え切れずまたベッドへと座り込む。光屋がそんな彰浩に慌てて手を伸ばした。 「大丈夫ですか? 会社になら、おれから事情話しておきました。スマホ、鳴ってたんで」  光屋の言葉を聞いて、彰浩は足元に転がっていたスマホを手に取る。確かに九時過ぎに会社との通話記録が残っていた。きっと出社してこないことを心配して誰かが電話を掛けてくれたのだろう。 「二日酔いで倒れてるって言うのもなんなんで、弟のふりして『高熱出して倒れてます』って言っておきました」  勝手にすみません、と謝る光屋に、彰浩は首を振った。 「いや、今こんなじゃ出社は無理だっただろうから。助かったよ」  滅多に休むことなどないから溜まった有給を消化することで上手く収まっているだろう。今日は大事な商談なんかはなかったはずだ。 「よかった。じゃあ、ここで休んでいってください」  光屋は言いながら傍に置いていた袋をまさぐると、ペットボトルの水を取り出して手渡した。彰浩は素直にそれを受け取る。 「昨日……あの後どうやってここに?」  彰浩は水を一口飲み下してから光屋に聞いた。どう頑張っても国元と別れた後の記憶が見つからないのだ。 「おぶってきましたよ。立ったまま北さん寝ちゃったから」  その時を思い出したのか光屋が笑う。そのまま立ち上がると、キッチンへと向かった。どうやらこれから料理をするらしく、手際よくフライパンを出している。そんな姿を見ながら彰浩はベッドに倒れこんだ。 「……悪い。何から何まで」 「いえ、おれが勝手に連れてきただけですから。朝飯、食べますか?」  近所のパン屋のバケット美味しいんですよ、と光屋の背中が言う。彰浩はその背中に、うん、と答えた。  背中さえ、いい男だ。おまけにこんなに甲斐甲斐しくて、機転が利いて……自分なんかがこんなに独占してはいけない。 「……光屋くん、今日予定は?」 「え? ないですよ。夕方から仕事ですけど。だから遠慮せず調子戻るまでゆっくりしていってください」  振り返った笑顔が眩しい。彰浩はそれを直視できずに視線を外して口を開いた。 「俺に遠慮することないよ、光屋くん。すぐ帰るから」 「え……ウチ、居心地悪いですか? やっぱ昨夜突貫で片付けたのばれました?」  さわやかな笑顔が消え、苦い笑みに変わる。彰浩は訝しげな顔を向ける。 「すみません……ホントは、ウチもっと汚くて。北さん、きれい好きっぽいし拙いかなと思って寝てる間に」 「あ、いや、そうじゃなくて……いいのか? ここに俺が居ても」  彰浩は体を起こし、まっすぐ光屋を見つめた。その視線を真摯に受け止め、光屋は頷く。 「居てください。おれは今日、北さんと過ごすつもりだったんで」  光屋が言って、照れたように笑う。これじゃなんか変か、なんて言ってすぐにキッチンに向かいなおした光屋を見て、彰浩の鼓動は勝手に速度を上げる。純粋に嬉しかった。  光屋の言葉に恋愛要素など一欠けらもないことはわかっている。それでも期待してしまいそうなほど嬉しい。 「じ、じゃあ仕方ないな。今日はここに居るよ。仕事もないし」  彰浩が答えると光屋が、そうしてください、と嬉しそうに返した。  それから一日光屋と過ごし、夕方彼が出勤すると同時に部屋を出た。 「すみません、楽しいものとかなくて」 「いや、全然。俺こそベッド占領して悪かったね」  光屋の部屋では、まだ頭痛のする彰浩を心配してベッドを明け渡してくれていたので、彰浩はそれに甘え、自分の部屋のようにゴロゴロと寛いでしまっていた。  テレビの音と、光屋と話す短い会話、それだけしかなかったのに、長い時間一緒に過ごしてもひとつも退屈でもなかったし窮屈でもなかった。こんなに心地の良い沈黙があることを、彰浩ははじめて知った。 「いえ。顔色良くなったみたいで、良かったです」 「色々ありがとな。お礼は今度まとめてするから」 「お礼だなんて……でも楽しみにしてます」  じゃあここで、と駅前で光屋と別れた彰浩は、その背中を見送りながら、小さく息を吐いた。  背中だけでもいい男だなと思う自分は、多分相当拙い。  どれだけ光屋を気に入っても、心を寄せても所詮真崎の二の舞になるのだ。これ以上関わってはいけない。傍にいてはいけない。傷つくのは自分だ。 「……やっぱり離れなきゃだめだよな……」  彰浩は呟いて手のひらを握り締めた。
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