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会社近くの、いつもとは違う店で食事をして酒を飲んだ。けれど、国元は彰浩に酒の量を控えるように厳命し、カクテルで二杯ほどしか飲ませてもらえなくて、おかげで店を出た後も彰浩は素面同然だった。こんなままじゃ国元についていくことなんか出来ない。こうして話しているだけでもそわそわするのに、抱かれるなんて多分無理だ。けれど逃げ出すことも出来なくて、次はどこへ連れていかれるのだろうと不安を抱えながら彰浩はただ国元の後をついて歩いた。
「アキ」
そんな彰浩を振り返り、国元が呼ぶ。その声に彰浩が顔を上げたのはホテルの前だった。電車で移動することもなく、彰浩の会社近くで全て済ませようとしているのが配慮にかけるなと思いながら彰浩が小さくため息を吐く。それだけ国元も必死なのだろう。
「こういうところは男同士じゃ気が引けるか?」
彰浩の表情が冴えないからだろうか。国元はそんなことを気にかけ、彰浩に視線を向けた。
女の子が好みそうな小奇麗な外観と休憩という料金形態を持つホテルを見上げ、彰浩は首を振った。
「もうどこでもいいですから……もう少し飲ませてください」
「でもこの間はそれで逃げられてるしね」
国元は苦く笑って彰浩の目をじっと見つめた。その目が今日は逃がさないと告げている。彰浩は、逃げませんよ、と緩く首を振った。
「もう逃げません……酔ったほうが色々飛んで楽しめるんです」
彰浩が答えると国元はにっこりと微笑んで彰浩の肩を抱いた。
「そういうことならいくらでも中でどうぞ」
国元が歩き出したその時だった。彰浩のスマホが着信を告げる。
画面には『光屋』の文字が表示されていた。なんていうタイミングだろう、と思った。まるで彰浩が国元に抱かれることを光屋が良しとしていない、そんな都合のいい解釈までしてしまいそうだ。
気持ちを傾けてしまっているのは彰浩の方だけだというのに。
「仕事?」
ぼんやりとスマホ画面を見つめてしまっていた彰浩に、不機嫌そうな声が掛かる。彰浩は慌てて首を振った。
「あ、いや……」
「だったら断ってあげるから、俺と居なさい」
相手が彰浩の遊び相手とでも思ったのだろう。国元はするりと手を伸ばして彰浩のスマホを取り上げた。彰浩が慌てて取り返そうとするが、国元はそれを避けて通話ボタンに触れる。
「国元さん!」
制止する彰浩の声も聞かず、国元は電話に出てしまった。
「アキの電話だけど、君は?」
相手に向かい、そんなことを聞く国元に、彰浩は「返してください」と手を伸ばす。けれど国元はそれを片手で押さえ、会話を続けた。
「光屋……? ああ、この間会ったな、君と。アキならもう君とは会わないらしいよ」
国元の言葉に彰浩が表情を変える。
確かにそうしようと思っていた。これ以上会うべきではないし、あんなことをしたのだから、光屋の方が会ってくれないかもしれない。けれど、それを他人の口から言われるのは、嫌だった。
「国元さん、スマホ返して!」
彰浩が本気で国元を睨むと、彼は肩をすくめてスマホを返した。奪うようにそれを取り返した彰浩はすぐさま、ごめん、と電話口に謝る。
「なんでもないから、光屋くん。それより、何か用事だった?」
『あ、いえ……今日、残業されてなかったので、その……具合悪くて休んでるのかもと思って』
電話の向こうで光屋が度切れ途切れに言う。どうやら自分の体を気にしてくれているらしい。心の底がふわりと暖かくなる。昨日のことは彰浩が悪いのだし、光屋は被害者と言ってもいい。それでもこちらの心配をしてくれるなんて、優しすぎて胸が痛くなる。
もう一度光屋の笑顔に会いたいと願ってしまいそうになり、彰浩はあえて冷たい口調で、平気、と答えた。
「俺なら大丈夫だ。……わざわざ悪かったな。じゃあ……」
『あ、あの、北さん!』
彰浩が電話を切ろうとすると光屋が慌てて声を掛ける。彰浩がスマホに耳を戻すと、光屋がそっと聞いた。
『その人と会ってるのに、着信に出てくれたんですか?』
「え……?」
『……その人との時間は、もったいなくないんです、か……?』
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